幸せなメンヘラの備忘録

可愛そうなメンヘラが幸せなメンヘラになった。おはようからおやすみまで、愛してるよとささやかれて生きれる奇跡。

境界性パーソナリティ障害と私と①〜私と母親〜

 

 

 

 

今日は、本の感想を書いていくよ〜〜

 

岡田尊司さん著

境界性パーソナリティ障害

幻冬舎新書

 

という本。

 

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

 

 

 

すごく、ピンポイントでわかりやすい題名だよね笑ありがたい。

 

 

境界性パーソナリティ障害っていうのは、

世でいうメンヘラのこと。

 

 

私もこれだよ。

メンヘラちゃんです。えっへん!

 

 

境界性パーソナリティ障害”という言葉は、夫に教えてもらったのがきっかけで知りました。付き合ってすぐの時かな。

 

 

最初に言われた時は、

「え?障害?私そんな大それたものじゃないと思う。日常生活はできるし…」

 

って思ってたけど、この本読んでみたら当てはまりまくってて。

 

「あ、私はただのおかしい子じゃなくて、境界性パーソナリティ障害だったのね」

 

って、改めて、いまさらながらなんだかほっとしてるというか、嬉しいです。

 

だってさ、ただでさえ私って、両親がいて、不自由なく暮らしてて、なのに両親が悲しむことしたりとか、なにより生き辛さがめっちゃくちゃあった。だから、その原因や症状があって、きちんと治療するに値する物です!って認められてるのは、とっっっても心が安心した!自分という存在も認められてるような感じになったよ。

 

読んでみたら、当てはまるところがほんっとうに多くて、全部一気に読んでからじゃ何が何だかわからなくなるから、細切れにして、感想を書いていきます!(*^^*)

 

 

ちなみに私は電子書籍kindleで本を読むんだけど、ほんっとう〜〜に便利!アプリだからちょっとの待ち時間ですぐ読めるし、わからない単語もすぐ調べられる。線やしおりも自由に書いたり消したりできる!すばらしい!おすすめです(^^)

 

 

 

話を戻します。

まず、この本のはじめにかかれていたこと。

 

境界性パーソナリティ障害は、発症する”

 

岡田尊司さんの本には、

 

境界性パーソナリティ障害は、もともとの困った性格だと受け取られやすいけど、そうではない。実際には、あるきっかけからそういう状態になる。ある意味、どんな状態の人でも、悪い条件が揃うと境界性パーソナリティ障害になりうるのである。”

 

 

ということが、かかれていた。また、

 

 

”その症状が発症するきっかけと原因があり、原因はすでに長い間をかけて用意されていたものであり、きっかけは、最後の一押しに過ぎないということ。”

 

 

自分の場合どうかな?と思ってみたけど、やっぱり両親が喧嘩ばかりで悲しかったことや、母親との関係に原因があるのかな?と思ったな。

 

 

 

私の母親は、子どもを産んでからは専業主婦になった。そして、私が幼稚園の年中の時くらいからまた、働き出したよ。私には5つと、2つ年上の姉がいる。ということは、私の姉達は少なくとも小学校にあがるまでは母親がいつでも家にいた、ということ。

私は、「なんで私の時だけ…」という思いが漠然と心にあったのを覚えてる。

 

さらに、私の幼稚園では、家の方角が同じ子達が先生とともに集団で帰るっていう下校?方法だったの。時間になると、親が決められてた場所に集まって、そこまでみんなで一緒に帰るっていう感じ。

でも、母親が仕事を始めてから、私の母親はそこにいないことがよくあった。

単純にお迎えの時間に間に合わなかったの。先生が一緒に待ってくれる時もあったし、おばあちゃんが迎えに来る時もあった。時には、仲のいい友達のお母さんが気を使って、そのままその子の家に帰って、家で遊んだりしていた。

 

私はいつも、ドキドキしながら帰り道を歩いてた。遠くから、自分の母親がそこにちゃんといるかをいつもいつも確かめないと気が気じゃなかった。

私はたぶん姉達よりも、他の子よりも人一倍不安になりやすい子だったと思うよ。

もともとの性格に加えて、両親が物心つく前から喧嘩ばっかりしてたからね。

とにかく私は帰り道はいつも不安だったきがする。私にとって、母親がいるはずの場所にいないというのは、めちゃくちゃに不安で、泣き出したくなるほど怖いことだったから。

 

そんなふうに、私は本当はめちゃくちゃ不安になりやすくて、怖がりな子だった。

今もだけど。

 

でも私は、それを母親には見せることができなかった。

私は末っ子で甘やかされてたから、めっちゃ泣き虫だった。泣けば大概のことはなんとかなるってわかってたしね笑それ以前に、涙がすぐ出てきやすい。だからもちろん親の前でもたくさん泣いた。

 

でも、私は自分の寂しいとか怖いとかいう弱い感情での涙を、母親に見せることができなかったんだ。単純に恥ずかしかった。

なぜなら私にとっての母親は、「可哀想な人」だから。ただ、その頃にはっきりと父親が悪いとか、嫌いとかいう感情は私の中になかったと思うから、なんかわからないけど、母親は弱くて可哀想な人だと認識してたのかな、と思う。

(ここの気持ちは正直定かではないな。私が父親を悪者だと決めつけたのは小学四年生くらいの時だったから、それ以前はどう考えてたのかな〜〜)

 

 

”親に弱さをみせられない”という気持ちは、年を追うごとに増したし、今でも変わらない。

それと同時に、親になんでも打ち明けられる子が、すごくすごく羨ましいと感じてたよ。

 

 

弱さとは関係ないけど、私は生理が来たことも自分で母親に打ち明けられなかった。

体の発達が早かった私は、小学校高学年の時に初潮を迎えた。私は、早すぎるそれが恥ずかしくて、結局母親には言えなかった。ある日、布団のシーツに血がついてしまって、仕方なく母親に打ち明けたんだよね。そんなことすらも、ただただ恥ずかしいって気持ちで、言えなかった。母親も気づいてたかどうかは知らないけど、気づいてたとしてもわざわざいってこない人だからね。

 

 

私って基本的に明るくて、友達もまあいる方だったし、なにか悪さをするわけでもない。だから母親も、特に心配することもなかったと思う。

私は本当はもっといろんなことを気にかけて欲しかったんだと思う。幼い頃は特に。でも母親は逆に、気にかけない方がいいと思ってたんだよね。まあ私も気にくわないこといわれたら反発したりしてただろうし。難しいけど、でもやっぱり小学生くらいまでは、本当はもっともっと、心のこととか、わかって欲しかったな、とは思う。

 

 

 

小学生の頃といえば、私は結構恥ずかしい失敗をよくしていた。

 

 

 

例えば、下校の時、友達に「トイレが行きたいから待ってて」っていうのが、言えなかった。

今でも本当に謎だけど、言えなかった。

や、正確には、言えなかったっていう記憶はないけど、なぜかトイレをめちゃくちゃ我慢しながら帰った記憶が鮮明に残ってる。

もらしかけの汚いパンツを、母親にばれないようにタンスの1番奥にしまったりしてた。今考えてもやばいよね?笑

ちなみにそのパンツをしまったの忘れてて、母親がタンスの整理する時に見つけちゃったの。で、なにこれ?みたいになって私にもなんか言ってたけど、恥ずかしいし、隠すのに必死で、たぶん私は怒った笑私と母親はいつもこんな感じ。私はすぐ怒るから、母親もそれ以上言うのやめちゃうんだよね。母親もそれ以上踏み込んで来ようとしないけど、踏み込むべきじゃないのかなって今では思う。

子どもの私は恥ずかしいとか、怒られるって思うから先に怒るわけであって。母親が大丈夫だよっていって、話をきちんと聞いてくれたら、きちんと話し合いできてたら、もっと改善されてたんじゃないかなあとか、思ってしまうよ。笑

 

生理の失敗も何度かした。お尻を血まみれにしながら、友達に保健室へ連れて行ってもらい、新しい服を借りた。そのことも、母親には明るい感じで、たぶん牛乳こぼしたとかなんとかいって、ごまかしたと思う。本当はすごく恥ずかしかったし、悲しかったのに。

 

よく覚えてる出来事がある。ある花火大会でのこと。

いとこと私たち家族で花火大会にいった。地元でけっこう大きめなやつ。

昼にいとこの家にみんなで行って、遊んだ後に、花火大会の会場に向かうことになった。歩いて行ける距離だったの。

その時、母親がトイレに行って、私もついてった。母親が用を足したあと、

「〇〇はどうする?トイレ行く?」

と私に聞いた。私はトイレに行きたかった。でも、その家のトイレが薄暗くて、なんだか怖かった。あと、トイレに行ってる間に母親が先に行っちゃうんじゃないかと思ったから、

「大丈夫行かない」といった。母親は何度か本当に大丈夫か確認したけど、私は頑なに行かないって半ギレでたぶん言ったと思う。

私は昔から怖がりで、1人でトイレやお風呂に行けない子だった。お風呂は常に誰かと一緒に入ったし、トイレは1人で行くしかないから、いつも漫画を読んだり速攻ででてきた。

 

でも母親に怖いからいけないなんて言えなかったので、母親はそれを知らない。

 

その時も、「行きたいけど怖いからここで待ってて」なんて、言えなかったんだ。

そして案の定花火大会の途中で私はトイレに行きたくなったので、母親に打ち明けた。やっぱり、なんでさっき行かなかったのというようなことを言われたけど、とりあえず家まで戻ることにした。走って帰ったけど、もう少しのところでもらした。小学二年生の時だった。私はとにかく恥ずかしかったので、花火大会には戻らず、家の車の中で終わるのをまっていた。

 

 

「よしよし、失敗したの嫌だったよね。なんでトイレ行くって言えなかったのかなあ?責めてないし、怒ったりもしないから、理由を教えてごらん。もちろん、お姉ちゃんたちには内緒にするからね。」きっと私にはこの言葉が必要だった。夫なら私にこう言ってくれたと思う。だからとりあえず自分で自分にいってあげといた。

 

 

はー、恥ずかしい。笑

思い出しても恥ずかしい。私は昔から本当に、”トイレに行きたい”が言えない子だったんだよね〜〜。ほんと困る。

今では昔より改善されたけど、バイトの時とかギリギリまで言えないんだよね…。

 

まあね、そんな具合だよ。夫と昔の話をして思ったのは、

”私は本当は普通の子より、面倒をよくみて、気にかけなきゃいけない子”

だったと思うんだ。自分で言うのもなんだけど笑少なくとも、ほっといても自分でほいほいやれたり、気持ちを相手に伝えたりできる子じゃなかった。だから、自分が言わない、言えない言葉をうまく聞き出して欲しかったし、様々なサインに気づいて欲しかった。贅沢すぎ?笑でも仕方ないじゃん、そういう性格なんだもん。

 

 

こういうさ、学校でおきた失敗とかもさ、親には言えなかったんだよね。だから、こんな小さな失敗たちを、未だに思い出して恥ずかしくて死にたくなるの。

普通だったら、嫌な出来事とかって小学生のうちなんかは、母親にいったりして、母親がうまくフォローしてくれることで、自分の心とうまく折り合いつけられると思う。女の子とか特に。

 

でも、なにもかも言えない私。とにかく弱さが恥ずかしくて。そういう意味では心の安全基地はやっぱりなかったね。母親にはいつも元気で明るい私を演じてたんだと思う。

本当はもっと繊細で、もっともっと傷つきやすかったのにさ。

私はなにも言えないし、母親も、言わないことを気づけるほど心に敏感な人じゃなかった。

 

 

それでも私は、やっぱり甘やかされて育った。めちゃくちゃわがままだからね。しかも、友達とか外向きには普通なの。親とか、親しい人に対してのわがまま。自分の思い通りにならないと泣く、怒る、さわぐ、ってかんじ。

あと、人に笑われるのがすごく嫌だった。その人に悪意がなくても、笑われるとすごく自分が責められてるような感覚になって。それでよくキレたりしてた、家族に。

 

 

 

両親は喧嘩ばかり。

本当の自分の弱さや気持ちはわかってくれない。

だけど甘やかされて、目先のことは思い通りになる。

 

 

こんなぐちゃぐちゃな状況で、私が境界性パーソナリティ障害になる原因は作られていったんじゃないかな、と思った。

 

 

 

まだはじめの方なのに、原因を探るだけでこんなに長くなっちゃった笑

 

書きたいことはやまほどあるけど、一旦ここで閉じようかな。

 

今日は私の恥ずかしみを暴露してしまったなあ。もしも小学生くらいの子が読んでたとしたら、恥ずかしいことはやまほどあっても大丈夫だよっていいたいよ。

 

わけあって親に話せないことがあって、友達にも話せなかったら、聞いてくれる人はどこかにちゃんといるよっていいたいな。

私にメールしてもいいしね。