幸せなメンヘラの備忘録

可愛そうなメンヘラが幸せなメンヘラになった。おはようからおやすみまで、愛してるよとささやかれて生きれる奇跡。

女だとえろい、男は普通、その感覚っておかしくない?

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"セルフプレジャー"

 

この言葉を知っていますか?

まわりで知っているという人はいますか?

 

わたしは昨日、たまたま見たこの記事を読んで始めて知りました。

そして、とてもいいようのない気持ちになったのです。

 

工藤まおりさんは、セルフプレジャーについて、こう述べています。

 

‘‘マスターベーションは身体が求める自然な欲求。だからこそ、のんびり過ごす日曜日に顔のパックをしたり、髪の毛にトリートメントをつけたりするのと同じような気持ちで、女性の日常におけるセルフケアのひとつとして、自身の求める欲求に素直にこたえてほしい。irohaはそんな想いを込めて、マスターベーションを「セルフプレジャー」と呼んでいます”

(原文まま)

 (以下、私もオナニーではなく、セルフプレジャーと記述していきます。)

 

私は、この”性”という得体の知れない魔物と長い間戦っていたように思います。

 

早すぎる性自認や、強い性欲。

誰にもいえなかったし、そんな自分が気持ち悪くて大嫌いでした。

自分はおかしい、恥ずかしい。なにが正しいのかもわからず、誰かに聞く事もできない。家族にも友達にも相談できなかった。

もしも、今同じように思っている人がいれば、ぜひこの記事を読んでほしいし、私のブログもこのまま読み進めてほしい。

 

 

 

私の性自認は、たぶん小学校三年とか四年とか。最初はたぶんよくわかってなかったと思う。ただ、本屋さんの漫画を立ち読みするのが好きで、そこでTLの漫画も立ち読みしてたのをすごい覚えてる。

当時は、ちゃおとかリボンとかの横に普通においてあって、カバーもしてなかったから。

なんにもわからないけど、ただ興奮して、本屋さんに行くたびに見てた。

(その時期私の家族は毎週金曜に本屋に行くのが恒例だった)

私は小学生のときから絵が好きで、漫画を描いたりしてたんだけど、エッチな漫画を思い出して自分も真似して描いたりしてた。エッチなことへの関心がきっとものすごくあって、それを消化できなくて、エッチな漫画かいたり、エッチな妄想したりしてたと思う。

(ちなみにこれはADHDの漫画家さんのざくざくろさんも似たようなことしてて、ちょっと嬉しかった。仲間だって思って。)

 

ウチにはクズがちょうどいい ADHD女子の恋愛変歴

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こっそり描いてた漫画だったけど、姉たちに見つかってといつめられて、公開処刑になった。めちゃくちゃ恥ずかしかったし、いけないことなんだって思った。

 

私は小6の時には、パソコンでエッチなサイトを見まくるようになった。

ここでも私は致命的なミスを犯す。Webの履歴機能を知らなかった。ある時姉二人と三人でパソコンをいじってるとき、ひょんなことから履歴を見る流れになった。私は怖くなってとにかくその場から離れたくて、半ギレで部屋を去った。姉たちの言い回しからして、私がエッチなサイトをみていたことを知っていてやっていたのだと思う。

 

私の性欲は、強くなるばかりだった。

だから、私がえろいことに興味があることを、きっと姉二人は気付いてた。

親はどうだか知らないけど。

このときたびたび思ってたことは、”自分が男だったらよかったのに。それかお兄ちゃんがいればよかったのに”ということ。男の性欲は普通で、全然へんなことじゃないから。

だけど私は女だから。性欲があるなんておかしいと。

 

私はいつからかセルフプレジャーを覚えた。

ちなみに私は性欲は有り余っていたけど、彼氏はいなかったので性欲をもてあましていた。中学三年になり、ガラケースマホに変わった。歓喜した。

 

「これで正々堂々とえっちなやつが見れる!!」

 

と思ったから。いたって大真面目に思っていた。

しかし、たとえ自分のスマホであっても、AVをみたりその行為自体の罪悪感はぬぐえなかった。

 

 

高校でも、彼氏はできなかった。

しかし私は、自分でいくのを覚えてしまった。きもちよすぎて感激した。

 

そして高校三年の時。

私にセフレができた。私はまったくその人が好きではなかったし、普通にきもいと思っていた。相手が私を好きではないことも知っていた。

しかし、私は寂しかったからそんな人としていた。依存してた。

でも私には、それ以外に様々な思いがあった。セックスをしてみたい、他人にいかされてみたい。みんながやってることを自分もしてみたい。相手もいなくてしてる自分なんて惨めだ。という昔からの自慰行為への嫌悪。自分の性の欲望と目の前のセックスが混在していたし、自己肯定感の低さや、寂しさもあった。好きじゃない人との行為に対して、それはそれはたくさんの言い訳をした。結局のところ、好きでもない人に求められるのになぜか断れない自分の矛盾を、性欲のせいにしたのだ。

 

 

気持ちのいいセックス、好きな人とするセックスを知らなかった私は、今思えばその人とはAVのプレイをしているように捕らえていたような気がする。

お互いが心の寂しさをうめあい、お互いが自分の中の欲望をむき出しにしていた。

今考えるとなんとも気持ちが悪い。

 

私は、当時が一番自分のことを心底気持ち悪いと思っていた。

性欲のために好きでもない男とする自分を、嫌悪していたし、それでも何回もセルフプレジャーをする自分は異常者だとも思っていた。なにか言い訳をしないと行為をする自分を守れないのに、その言い訳でさえも自分を苦しめた。

私の場合、結局のところもとをたどれば愛着障害が問題なのだが当時の私は、寂しさだけでこんなことをする自分すらも認めてあげられなかった。

 

 

そんな時、類は友を呼ぶという言葉通りに、傷のなめあいをする友達が三人もできた。

援助交際や風俗をしている子達だった。みんな同じクラスで、みんな普通の子だった。親もいた。容姿もかわいかった。けれどみんな結局は、自分の中にある虚無感にしたがって、そんなことをしていた。

彼女たちと話すうちに、自分の性欲や、セルフプレジャーをすることはまったく普通のことなんだと始めて知った。ずっと心にあった自分への恥ずかしさや嫌悪感は、少しだけ、でもだいぶなくなった。(一歩しか進んでないけど、その一歩がかなり大きいみたいなイメージ。)私は夫と付き合うようになって、彼女たちとは距離を置くようになった。でも、あの日、サイゼで語り合ったときの感動は一生忘れないし、めちゃくちゃ感謝してる。女性のセルフプレジャーはおかしいことじゃない。性欲が強い女性だっているに決まってる。そう始めて思うことができたのだから。

 

 

 

愛着障害のある私からすると、性欲やエロは、つらい現実からにげるための道具だったのではないかと思う。私の場合両親の喧嘩や、自分が嫌いだということから。求めらるのが嬉しいというのも、そこに関係がある。(先ほど紹介したざくざくろさんとは、愛着障害という部分で共通点があると思う。)

実際私は今、昔に比べて性欲が減った。

それは、夫に心から愛されているからだと思う。心が満たされているので、セックスをしなくても心に愛が常にある感じ。

夫のセックスは、セックス講座を開けるんじゃないかと思うくらい気持ちがいいし、愛や思いやりにあふれてる。もちろん、はじめからいきまくり潮吹きまくりに気持ちよかったわけじゃない。お互いが満足するように、特に私が気持ちよくなるように気遣ってくれたおかげだと思う。お互いを尊重し、コミュニケーションをよくとっていたからだ。でもやっぱり、セルフプレジャーもする。

(だって自分でするのとセックスは別物だもの!!)

私も夫も、相手がそうすることを知っているし、それを嫌悪したり恥ずかしがったりしない。

だからといってセックスに満足してないわけではないし、欲望のままに浮気をするなんてありえない。私たちは、とても理想的な性生活をおくっていると思う。

 

 

 

最初の記事とはまた別の視点で、性についてここまで書きました。

 

もちろん今の私は、性欲というものをよく理解してるし、それに翻弄されることはない。

 

 

女性がセルフプレジャーすることは、普通のこと。

朝起きて、おしっこして、ご飯食べるのと同じくらい自然なこと!

恥ずかしいとか、はしたないと思って、本当のことを教えてくれないほうがおかしいよ。自分だってするのに、ばかにするほうがおかしいよ。

 

 

私は今悩んでる方や、昔の自分にいってあげたいと思います。