幸せなメンヘラの備忘録

可愛そうなメンヘラが幸せなメンヘラになった。おはようからおやすみまで、愛してるよとささやかれて生きれる奇跡。

”細くて可愛い”が全てだと思っていたあの頃

 



今日は、私が戦ってきた
”容姿へのコンプレックス”
について、書いていきたいと思います。


夫に出会って愛されたおかげで、不思議なことに今ではすっかりその気持ちは忘れてしまったんですよね笑

あんなにおどろおどろしい感情にのみこまれていたのに。

その程度のものだったんだなと、今では思います。
でも、やっぱり悩んでる時はとらわれすぎてて、本当に苦しかった。

自分ではどうにもできない感情をいつも心で飼っていて。
自分の顔から体からぜーんぶ嫌でよく泣いてました。
(私の場合、だからといって整形したいとかは思わなかったんです。あくまでもありのままの自分を受け入れたいという気持ちが強かったので。)


私は本当に苦しかったです。

 


容姿のコンプレックスって、誰もが一度はもったことがあるのではないでしょうか?
そして、それが永遠のテーマになってしまってる人もきっと、多いと思います。


私が自分の容姿を過剰に気にするようになった大きなきっかけは、2つあります。


1つ目は中学二年生、14歳の時。
私と”同い年のいとこ(女)”の存在です。

 


私たち家族は、元旦の夜に親戚同士で祖父母の家に行くのが毎年恒例でした。新年会ですね。その年も例年通り、祖父母の家に親戚みんなで集まりました。(母方の祖父母の家)

 


私には、母方のいとこがたくさんいます。
母親が3人兄弟で、みんな子どもがいるから。


私たち姉妹が3人。母の弟の子どもが2人。母の妹の子どもが3人。


祖父母からいえば孫が8人もいるというわけなんです。にぎやかですよね。
しかもみんなほぼ年齢が近くて、1番上と1番下が9個しかかわりません。
(さらに女が6人、男が2人という男女比)
みんな県内に住んでいるということで、昔からよく女のいとこ同士集まって遊んでいました。
誰かの誕生日になると、みんなで祖父母の家に行って一緒に洋服を買いに行っていたり、誰かが祖父母に会うとなると、絶対にいとこを呼んだり。それくらい距離が近いです。

 


実は私は昔からいとこの集まりが苦手だったんですけどね…笑

 


その中で、私と同い年のいとこがいます。みんな年はほぼ一歳ずつくらい離れてるんですが、私とその子だけ同い年。
私はもともと、その子に一方的に苦手意識がありました。それは物心ついた時から。

たぶん、その子が私と同い年なのに私よりもっとわがままで、あやまかされていたから?


でもこの14歳の元旦の日に、私がその子に抱いていた苦手意識が、強烈なコンプレックスに変わってしまいました。

それはそれは凄まじいもので、昔ほどではありませんが今でも考えるだけで、本当に一瞬で心が乱されてしまいます。

その子より確実に自分の方が幸せだとわかっていても。

もうその子へのコンプレックスなんてないはずなのに。

 


その子も3人兄弟の末っ子。
可愛くて細くて、個性的で。わがままでもみんなが許してくれるような愛嬌がある。
スクールカーストでは上位のグループにいて、勝手に(中学で禁止されてる)髪を染めたりダンスをならったり、ませていて、派手な子。

その日、私はその子のそんな印象を強く植え付けられました。


今まであまり意識していなかったのに、その日はその子の方が何倍も何十倍も輝いて見えて。

 

何から何まで羨ましい。

私と比べたら、私の方が劣ってる。


本当は私だってみんなに注目されたいし、可愛いだけでちやほやされたい。髪をそめたりしてみたい。洋服も可愛いものを着たりメークしたりしてみたい。


そんな潜在的な願望を、全て手に入れてるその子がとてつもなく羨ましかった。
私は周りの目を気にして、周りと違うことをできないし、その子より可愛くも細くもなかった。


そしてもう1つ、その子の家族関係がとても羨ましかった。


もちろん家族というのは複雑で、どんなに素敵に見える家族でも他人から見えてるものが全てではないことはよくわかります。


でも、その子が父親といろんな話を楽しそうにしているところ、姉や兄に可愛い妹として慕われてるところを見て、すごくすごく羨ましかったです。すごくすごく。

 

私の理想の家族像だと思いました。

実際その子の家へ泊まりにいったりすると、私はいつもこの家の子になってみたいと本気で思っていました。それくらい私の目には良い家族に見えていたのです。


14歳のその日、私にどんな心の動きがあったかはあまり覚えていません。

ただただ、ショックでした。
家に帰った私は一晩中泣きはらした。
泣きながら、ずっとその子のことを考えてた。
(可愛くて、慕われて、注目されて、なんでもできて、なにしても許される環境があって、仲良しな家族もいる。)

 


私がメンヘラ気味になったのはちょうど中学からだったので、思春期と重なり余計に自分の心はずたぼろになってしまったと思います。


そして、その日を境にその子へのコンプレックスはみるみる増幅しました。
いとこの集まりも昔よりももっと行きたくなくなったし、SNSで嫌でもその子が目に入る。嫌なのに、見てしまう。そんな状況で。

 

 

正直、何がそんなにコンプレックスに感じるのか、はっきりこれというものは思い当たりません。

今考えても、何かされたとか誰かに何か言われたとか、そういうきっかけはなかったと思うんです。

しいていえば、周りの大人や他のいとこたちの、私とその子へのささいな態度の差を、私は自分が劣ってるからだと過剰に受け止めてしまったのかもしれません。

 

 

少し話をずらしますが、先ほどいった通り私はいとこの集まりが苦手です。昔からずっと。

きっと、そのことも同い年のいとこをコンプレックスに思う原因になったと思います。

 

私にとっていとこの集まりはとても居心地の悪いものでした。

 

先ほどいったようにいとこは女だらけ。

年の1番上と1番下が男で、間が全部女。

そしてその中で、私の1番上の姉が男を除いたいとこの中の1番年長でした。

つまり、みんな私の姉を慕うわけです。私の姉がみんなをひっぱり、遊びの中でも権限をもつ。女子グループのリーダーポジ。

しかし、私の姉は私のことはあまりよく思っていなかったので、私はよくいじわるされてました。つまり、リーダーに目をつけられてる。

 

(これはよくある親の愛を妹にとられた仕返しというものから来てると思うのですが、今思い返しても私の姉の私に対する意地悪は度を超えていたと思います。今は結婚してだいぶまるくなりましたが、今でもたまにありえないような冷血なことをしでかします。)

 

 

もちろん家でもいじわるされるのですが、家では親に泣いてすがればいいはなしで。

でも、私はいとこの中でそれはできませんでした。

それは母親に”仲間はずれにされて泣いてる”と思わせることだったからです。

いとこの前で泣くのも嫌だった。

幼いながらのプライドと、親に弱さを見せられないことが重なってた。

私の姉は、妹たち(私の二番目の姉と私)には一切見向きもせず、いつも他のいとこの面倒を見てました。他の子達に優しく教えてあげても、私には教えてくれない。他の子にはハンデをあげるのに私にはくれない。

私はいつも必死でした。

 

 

いとこの中でぼっちになりたくない。仲間はずれにされたくない。その姿を親に見られたくない。

 

 

基本的にいとこ同士で遊ばせとけば親は子どもに干渉もしないし、心配もない。それにだれかの親が1人ついていればいい。親的には楽だと思います。大家族のようなイメージでしょうか。

 

でも私は、いとこの存在も叔父や叔母も、母方の祖父母も小学校に入るまであまり認識できていなかったと思います。

それはもともとの内向的な性格の特徴で。

 

父方の祖父母とは毎日会っていたので、心も開いていたし、自分の祖父母という認識はよくありました。小さい頃からなついてた。

しかし、母方の祖父母の年に数回会う頻度では、自分の祖父母としての認識もなく、心を開かなかったんだと思います。(とはいっても月一くらいは会っていたのかな?)

特に祖父は仕事でほぼ会わなかったので、もともと男の人が苦手だった幼少期の私は受け入れるまで時間がかかりました。

今では大好きなんですけどね笑

 

それと同様に、私はいとこにもあまり心は開いていませんでした。

年が上がるにつれ、私の中での家族への振る舞いと友達への振る舞いが変わるようになると、どの自分でいればいいかわからなくなった。

いとこにもどんな風に接すればいいかわからなくなっていきました。

そして結局、いとこに会うたびに他人と一から接するような気持ちになるので、会いたくないと思うようになってしまった。

友達でもない、家族でもない、だけど家族のような近さを求められている。

家族のようにわかったふりをされる。

本当の私を知らない人たちに、
「○○はこういう子」
というレッテルを貼られる。

その全てがたまらなく苦しかった。

会う人ごとに自分を無意識に変えていた自分にとっては、その集団の中でどんな自分が正解なのかわからなかった。

だからいとこの集まりにも行く前はいつも憂鬱。でも、もちろん行きたくないなんて言えなくて。

だってはじめからみんな好きが当たり前だし、好きじゃないから行きたくないなんてだめだから。

 

 

そんな自分と対照的に、家族にも親族にもいつもほんとの自分で振る舞うその子が羨ましかったのだと思います。

 

 

 

私がいとこの集まりに心置き無く行けるようになったのは、夫が一緒に来てくれる時だけです。

夫が「嫌なら行かなければいい」といってくれるので、私は初めてその集団を拒否することが認められました。

 

とても嬉しかった。

改めて、やっぱり私の安全基地は夫だな、と心から思った。

私が嫌だと思えば、それ認めて受け止めてくれる。

 

”仲の良い親戚の集まり”

みんなが当たり前に大好きな集まりだったから、私は潜在的にこのコミュニティを嫌いなのはおかしいとか、変だとか思っていた。

ほんとは好きじゃないなんてあってはならない感情だって思ってた。

 

 

そして、その中で、

同じ遺伝子をもった同い年の同じ性

をもつその子に、

はげしくコンプレックスを持つことになった。

 

 

それが、自分自身の容姿のコンプレックスを助長させしまった。

 

 

結局その子は中学卒業後海外へ留学し、19歳の時日本にいる同い年の彼氏と出来ちゃった婚をして今では一児の母です。


愛着障害の本にも、パーソナリティ障害の本にも書いてあったのですが、

子どもは親からの愛を与えられなくても、

与えられ過ぎてもだめらしいです。

心が健全に育ちにくくなってしまう。

 

 

 

どんな思いでその子が子どもを産み、結婚したかはわからないけど、

きっと彼女にもなにかしらの人格障害があったのではないかなと今では思います。

 

 

 

長くなってしまったので、2つ目の出来事は次記事にまわします〜〜

 

 

これを書くことによって、今まで整理できなかった感情を整理する良い機会だと思いました。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。