きれいなものを、きれいだと思うこと。
眠れない。
眠れなすぎる夜は、写真を見るのが結構好きだったりする。
眠れない夜にツイッターとかインスタ見たって心に余計なものがはいりこむだけだし。
こんな時間に社会人の友達にライン返したら、こいつ暇かよってなるし。笑
アルバムの”旦那さん💕”というフォルダの中を、永遠にスクロールする。
楽しそうな自分と、楽しそうな旦那さん。
幸せだ。
たまにでてくる昔のラインのスクショの中の
会いたいとか、今日会えるじゃん!って会話。
なつかしいなあって。
それでふと思い出した。
旦那さんが、付き合った当初からずっと私にいってくれる言葉。
「君には綺麗なものを綺麗だと感じる心がある。それはとても素敵なことだよ。僕は君にたくさん綺麗なものを見せてあげたいし、いろんなところへ連れていってあげるよ。」
それは、私一人では到底気づけないことだと思った。綺麗なものを綺麗だと思う心が、そんなに素晴らしいものか…?私はそう思った。
旦那さんは言葉通りに、たくさんのところへ連れていってくれたし、綺麗なものをたくさん見せてくれた。
堤防から見る夕焼け。
満点の星空。
まん丸なお月様や、消えそうなほど細い三日月。
満開の桜。
道に咲く紫陽花。
山を覆う雲。
数えればほんとにきりがないほどに。
旦那さんが見せてくれるのは、いつも日常の中にある風景だった。
ほらみて!って、いつも私に教えてくれた。
車でドライブしていても、月が綺麗だから少し見ようかといって、2人でずっと見ていたこともよくあった。
私が旦那さんと出会う前にも、きっと私の周りにはこんな素敵な風景があったんだと思う。
たくさんたくさんあったと思う。
でも私は、そんなことには気づかずにきっといつも違うものばかり追って、傷ついていた。
いつの間にか綺麗なものを見なくなってた気がする。
よく晴れた日の空は綺麗だし、気持ちがいい。
雨上がりの夜はたくさんの雨跡が外灯に反射してキラキラしてる。
すこし見方を変えれば、綺麗なものがたくさんある。
私はそれを旦那さんに教えてもらった。
ただそれを見て、綺麗だと思う気持ちがとても大切なことだと教えてもらった。
私は間違いもあったけど、自分の感じる心はまだちゃんと清いままだった。
小さい頃の、純粋な私のままだった。
それを見つけてくれたのは、旦那さん。
これからもたくさん綺麗な景色を2人で見たいなあと思いました。