”細くて可愛い”が全てだと思っていたあの頃
今日は、私が戦ってきた
”容姿へのコンプレックス”
について、書いていきたいと思います。
夫に出会って愛されたおかげで、不思議なことに今ではすっかりその気持ちは忘れてしまったんですよね笑
あんなにおどろおどろしい感情にのみこまれていたのに。
その程度のものだったんだなと、今では思います。
でも、やっぱり悩んでる時はとらわれすぎてて、本当に苦しかった。
自分ではどうにもできない感情をいつも心で飼っていて。
自分の顔から体からぜーんぶ嫌でよく泣いてました。
(私の場合、だからといって整形したいとかは思わなかったんです。あくまでもありのままの自分を受け入れたいという気持ちが強かったので。)
私は本当に苦しかったです。
容姿のコンプレックスって、誰もが一度はもったことがあるのではないでしょうか?
そして、それが永遠のテーマになってしまってる人もきっと、多いと思います。
私が自分の容姿を過剰に気にするようになった大きなきっかけは、2つあります。
1つ目は中学二年生、14歳の時。
私と”同い年のいとこ(女)”の存在です。
私たち家族は、元旦の夜に親戚同士で祖父母の家に行くのが毎年恒例でした。新年会ですね。その年も例年通り、祖父母の家に親戚みんなで集まりました。(母方の祖父母の家)
私には、母方のいとこがたくさんいます。
母親が3人兄弟で、みんな子どもがいるから。
私たち姉妹が3人。母の弟の子どもが2人。母の妹の子どもが3人。
祖父母からいえば孫が8人もいるというわけなんです。にぎやかですよね。
しかもみんなほぼ年齢が近くて、1番上と1番下が9個しかかわりません。
(さらに女が6人、男が2人という男女比)
みんな県内に住んでいるということで、昔からよく女のいとこ同士集まって遊んでいました。
誰かの誕生日になると、みんなで祖父母の家に行って一緒に洋服を買いに行っていたり、誰かが祖父母に会うとなると、絶対にいとこを呼んだり。それくらい距離が近いです。
実は私は昔からいとこの集まりが苦手だったんですけどね…笑
その中で、私と同い年のいとこがいます。みんな年はほぼ一歳ずつくらい離れてるんですが、私とその子だけ同い年。
私はもともと、その子に一方的に苦手意識がありました。それは物心ついた時から。
たぶん、その子が私と同い年なのに私よりもっとわがままで、あやまかされていたから?
でもこの14歳の元旦の日に、私がその子に抱いていた苦手意識が、強烈なコンプレックスに変わってしまいました。
それはそれは凄まじいもので、昔ほどではありませんが今でも考えるだけで、本当に一瞬で心が乱されてしまいます。
その子より確実に自分の方が幸せだとわかっていても。
もうその子へのコンプレックスなんてないはずなのに。
その子も3人兄弟の末っ子。
可愛くて細くて、個性的で。わがままでもみんなが許してくれるような愛嬌がある。
スクールカーストでは上位のグループにいて、勝手に(中学で禁止されてる)髪を染めたりダンスをならったり、ませていて、派手な子。
その日、私はその子のそんな印象を強く植え付けられました。
今まであまり意識していなかったのに、その日はその子の方が何倍も何十倍も輝いて見えて。
何から何まで羨ましい。
私と比べたら、私の方が劣ってる。
本当は私だってみんなに注目されたいし、可愛いだけでちやほやされたい。髪をそめたりしてみたい。洋服も可愛いものを着たりメークしたりしてみたい。
そんな潜在的な願望を、全て手に入れてるその子がとてつもなく羨ましかった。
私は周りの目を気にして、周りと違うことをできないし、その子より可愛くも細くもなかった。
そしてもう1つ、その子の家族関係がとても羨ましかった。
もちろん家族というのは複雑で、どんなに素敵に見える家族でも他人から見えてるものが全てではないことはよくわかります。
でも、その子が父親といろんな話を楽しそうにしているところ、姉や兄に可愛い妹として慕われてるところを見て、すごくすごく羨ましかったです。すごくすごく。
私の理想の家族像だと思いました。
実際その子の家へ泊まりにいったりすると、私はいつもこの家の子になってみたいと本気で思っていました。それくらい私の目には良い家族に見えていたのです。
14歳のその日、私にどんな心の動きがあったかはあまり覚えていません。
ただただ、ショックでした。
家に帰った私は一晩中泣きはらした。
泣きながら、ずっとその子のことを考えてた。
(可愛くて、慕われて、注目されて、なんでもできて、なにしても許される環境があって、仲良しな家族もいる。)
私がメンヘラ気味になったのはちょうど中学からだったので、思春期と重なり余計に自分の心はずたぼろになってしまったと思います。
そして、その日を境にその子へのコンプレックスはみるみる増幅しました。
いとこの集まりも昔よりももっと行きたくなくなったし、SNSで嫌でもその子が目に入る。嫌なのに、見てしまう。そんな状況で。
正直、何がそんなにコンプレックスに感じるのか、はっきりこれというものは思い当たりません。
今考えても、何かされたとか誰かに何か言われたとか、そういうきっかけはなかったと思うんです。
しいていえば、周りの大人や他のいとこたちの、私とその子へのささいな態度の差を、私は自分が劣ってるからだと過剰に受け止めてしまったのかもしれません。
少し話をずらしますが、先ほどいった通り私はいとこの集まりが苦手です。昔からずっと。
きっと、そのことも同い年のいとこをコンプレックスに思う原因になったと思います。
私にとっていとこの集まりはとても居心地の悪いものでした。
先ほどいったようにいとこは女だらけ。
年の1番上と1番下が男で、間が全部女。
そしてその中で、私の1番上の姉が男を除いたいとこの中の1番年長でした。
つまり、みんな私の姉を慕うわけです。私の姉がみんなをひっぱり、遊びの中でも権限をもつ。女子グループのリーダーポジ。
しかし、私の姉は私のことはあまりよく思っていなかったので、私はよくいじわるされてました。つまり、リーダーに目をつけられてる。
(これはよくある親の愛を妹にとられた仕返しというものから来てると思うのですが、今思い返しても私の姉の私に対する意地悪は度を超えていたと思います。今は結婚してだいぶまるくなりましたが、今でもたまにありえないような冷血なことをしでかします。)
もちろん家でもいじわるされるのですが、家では親に泣いてすがればいいはなしで。
でも、私はいとこの中でそれはできませんでした。
それは母親に”仲間はずれにされて泣いてる”と思わせることだったからです。
いとこの前で泣くのも嫌だった。
幼いながらのプライドと、親に弱さを見せられないことが重なってた。
私の姉は、妹たち(私の二番目の姉と私)には一切見向きもせず、いつも他のいとこの面倒を見てました。他の子達に優しく教えてあげても、私には教えてくれない。他の子にはハンデをあげるのに私にはくれない。
私はいつも必死でした。
いとこの中でぼっちになりたくない。仲間はずれにされたくない。その姿を親に見られたくない。
基本的にいとこ同士で遊ばせとけば親は子どもに干渉もしないし、心配もない。それにだれかの親が1人ついていればいい。親的には楽だと思います。大家族のようなイメージでしょうか。
でも私は、いとこの存在も叔父や叔母も、母方の祖父母も小学校に入るまであまり認識できていなかったと思います。
それはもともとの内向的な性格の特徴で。
父方の祖父母とは毎日会っていたので、心も開いていたし、自分の祖父母という認識はよくありました。小さい頃からなついてた。
しかし、母方の祖父母の年に数回会う頻度では、自分の祖父母としての認識もなく、心を開かなかったんだと思います。(とはいっても月一くらいは会っていたのかな?)
特に祖父は仕事でほぼ会わなかったので、もともと男の人が苦手だった幼少期の私は受け入れるまで時間がかかりました。
今では大好きなんですけどね笑
それと同様に、私はいとこにもあまり心は開いていませんでした。
年が上がるにつれ、私の中での家族への振る舞いと友達への振る舞いが変わるようになると、どの自分でいればいいかわからなくなった。
いとこにもどんな風に接すればいいかわからなくなっていきました。
そして結局、いとこに会うたびに他人と一から接するような気持ちになるので、会いたくないと思うようになってしまった。
友達でもない、家族でもない、だけど家族のような近さを求められている。
家族のようにわかったふりをされる。
本当の私を知らない人たちに、
「○○はこういう子」
というレッテルを貼られる。
その全てがたまらなく苦しかった。
会う人ごとに自分を無意識に変えていた自分にとっては、その集団の中でどんな自分が正解なのかわからなかった。
だからいとこの集まりにも行く前はいつも憂鬱。でも、もちろん行きたくないなんて言えなくて。
だってはじめからみんな好きが当たり前だし、好きじゃないから行きたくないなんてだめだから。
そんな自分と対照的に、家族にも親族にもいつもほんとの自分で振る舞うその子が羨ましかったのだと思います。
私がいとこの集まりに心置き無く行けるようになったのは、夫が一緒に来てくれる時だけです。
夫が「嫌なら行かなければいい」といってくれるので、私は初めてその集団を拒否することが認められました。
とても嬉しかった。
改めて、やっぱり私の安全基地は夫だな、と心から思った。
私が嫌だと思えば、それ認めて受け止めてくれる。
”仲の良い親戚の集まり”
みんなが当たり前に大好きな集まりだったから、私は潜在的にこのコミュニティを嫌いなのはおかしいとか、変だとか思っていた。
ほんとは好きじゃないなんてあってはならない感情だって思ってた。
そして、その中で、
同じ遺伝子をもった同い年の同じ性
をもつその子に、
はげしくコンプレックスを持つことになった。
それが、自分自身の容姿のコンプレックスを助長させしまった。
結局その子は中学卒業後海外へ留学し、19歳の時日本にいる同い年の彼氏と出来ちゃった婚をして今では一児の母です。
愛着障害の本にも、パーソナリティ障害の本にも書いてあったのですが、
子どもは親からの愛を与えられなくても、
与えられ過ぎてもだめらしいです。
心が健全に育ちにくくなってしまう。
どんな思いでその子が子どもを産み、結婚したかはわからないけど、
きっと彼女にもなにかしらの人格障害があったのではないかなと今では思います。
長くなってしまったので、2つ目の出来事は次記事にまわします〜〜
これを書くことによって、今まで整理できなかった感情を整理する良い機会だと思いました。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
危ないかもと思ったら、何がなんでも逃げてほしい
夫によく言われることがある。
「君は危機感が少なすぎるよ。世の中変な人や危ない人はたくさんいるんだから、もっと気をつけて。」
という言葉だ。
それは私にとっては衝撃的だった。
例えるなら、今まで自分の中で大切にしていたものを箱ごとひっくり返されたようだった。
だって私はいつも、世の中みんないい人、人類皆兄弟みたいな考え方をしていたから。
それは、ある意味自分なりの身を守る術だったし、少ない自己肯定の1つだった。
みんな私に興味などない、私に悪さなんてしてこない、だから私はなにをしても大丈夫だ。誰も見てないから、好きなことを堂々とすればいい。
そんなふうに、他人の意向を過剰に気にしてしまう自分への慰めに加えて、ほぼ全ての人を許容することで自分の自己肯定を守っていた。
それともう1つ、私の両親は敵を作らないタイプの人だ。(特に私は母親の影響を強く受けている。)きっと危ない目にあったことがないのか、そもそもそういう人のいるような環境にいたことがないのか…?
私の母親は、”私の友達だからきっとみんないい子でしょう”というかんじで、全面的に私を信頼していた。つまり、外界からの敵とか以前に、私が優しくていい子だから周りの子もみんないい子だ、というような考えだ。
なんていうか、たぶん危機感がない。
一度、大学時代に付き合った日数約10日間の彼氏の家に泊まろうとした時は、めちゃくちゃにきれられた。(たぶん喧嘩した?)キレて、そして私に「子ども作るようなことしないでっていってんの!」という捨て台詞を残して寝てしまったことがある。
特になんの説明もなく、ひたすら自分の感情だけを残し、話合わずに逃げてしまった。笑
これは親としてどうなのか…?とも思うけど、私の覚えてる範囲でそういう注意はこれきりだった。
というか母親と恋愛の話なんてしたことがない。
ちなみにその前からもうセックスはしていたし、喧嘩した際、「さみしくて好きじゃない人と付き合ったことがある」と言った時、母親は知っていたと言っていた。
知っていながら見て見ぬ振りをしていた。なぜわかっていて、その男と私が母親のいう”子どもを作るようなこと”をしてないと思ったのだろうか。危機感や想像力が足りないのか。それとも、また都合よく私の選んだ人だから信用してると思ったのか。
話を戻しますね。
たとえば、私と初めて関係を持った人は、2回目にあった時、私のことをむりやりしようとした。まじできもい。
なのに私は、その人を完全に悪者だとは思ってなかった。
結果的にその気持ちにつけこまれて利用されることになったのだけど。
私は、この世の中に本当の悪者なんていないと思っていたのかもしれない。
この人がこうなったのも何か理由があるんだから…そう思っていた気がする。
今の私からしたら、そんなこと私が傷つくことになんの関係もないから!!!って感じだ。
しかしそんなおたんこなすな私の気持ちを覆すような出来事がおきた。
夫と同棲を始めて、コンビニでバイトをしていた時のことだった。
私はレジで、ある男性客の”ファ◯チキ”を入れ忘れた。
ホットスナックの入れ忘れは割とよくあることで、お客様が電話して下さり、返金と商品を渡すのが普通である。お客様も怒ったりしない。少なくとも私が見てきた中で怒る客は1人もいなかった。
しかしその客は普通と違った。
そいつが電話をかけてきた。おびえながら私が出ると、開口一番その客は
「ファミチキはいってないんだけどーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
と、めちゃくちゃでかい声で怒っていた。
私が店舗で返金と商品のお渡しをしますから来てくださいと言ったらさらに怒り、なぜ俺が行かなきゃならないんだ、おかしいだろ、というようにさらに怒鳴られた。
ちなみに私はその場合の対処法を教えてもらってなかったので、先輩がやってたのを見よう見まねでまねただけだった。なのに怒られてかなりてんぱった。
そして先輩に代わってもらい、そいつが再度電話をしてくるというので別日にその電話を取った。
その客は前とは違い普通の声だった。そして、俺もこんな若い女の子に言いたくないんだけどね、とか、○○さんも最初は可愛いなと思ったのでもさ、社会に出たら〜とか、ほざいてきた。あれだけきれていたにもかかわらず、肝心のファ○チキはもういらない的なこともいってきた。ふざけんな。
結局返金と商品を渡すということになった時、もうこの店には行かないから店の近くで待ち合わせしよう。君には強く言いすぎたから、なにか買ってきてあげたいし。
というようなことも言われた。
(この電話の時、怖さと安堵で泣いてしまい相手に弱さを見せてしまったのは私がよくなかった。)
この時の私はまだおたんこなすだったので、
(あ、もう怒ってない!よかった!でも店じゃないところで会うとかなんか持ってくるとか、変だな…)
くらいにしか思っていなかった。
そして店長に相談し、日と場所を決めて2人で謝りつつ商品のお渡しと返金をすることになった。
日と場所は店長がその客に電話してくれるとのことだった。
しかし家に帰り夫にそのことを話すと、夫は
絶対にそいつに会うな
と言った。
「そいつはおかしい。もしも君に何かあったらどうするの?店長がいるといっても店長も女だし、いざとなった時に君を守れる保証なんてない。とにかくそんな危ないやつと2度と関わるな。」
と。
私はもちろん会うのは嫌だけど、それよりも店長に
「会いたくないのですみませんが1人で行ってください」
というのがめちゃくちゃ嫌だった。
私の性格からして、店長がそれによって自分をどう思うかとかそのことばかり気にしていたから。
同じような状況になった時、断れる子ってどれくらいいるだろう?自分の身に危険があるかも…って思っても、それ以外のこといろいろ考えて、いや、そんなことあるわけないから…って勝手に自己判断しちゃう子なんてたくさんいると思う。
私の場合散々夫に行くなって言われて、店長に電話したわけです。そしたら店長は、
「やっぱりそれが誠意だから行って欲しい」
と言われた。私は押しに弱い。自分じゃ断れないので夫に代わって話してもらって、やっと断った。
本来はバイトのミスだから別に店長1人で行くなりオーナーがついてくなりするべきで、バイトが行くべきところではないと思うけどね。
それで後日、店長がその客と連絡とって1人で行くと伝えたとたん電話も通じなくなくなり、結局そのままになりましたとさ。
それを聞いてじわじわ、あ、危なかったなって思いはじめた。あの時ほいほい行ってたら、もしかしたら取り返しのつかないことになってたかもしれない。店長が…とか誰かの顔色をうかがって自己防衛をなげやりにしたら、その方がもっと危なかったなって。
それから、私はこう思うようになった。
人間が1番怖い。
少しでも危険な匂いがするんだったら疑って、誰かに相談して、絶対それに近づいちゃいけないって。
コンビニに住みついてるGの方がまじで百万倍ましだ!って。笑
だってあいつらきもいだけで何もしてこないもん。
自分がほんの少しでも危険だと思ったら、それだけを信じればいいと思う。
もしもどうしても会わなければならないのなら信頼できる誰かについてきてもらうとか。
別にそれで勘違いだったら、それはそれでよかったじゃん。
何も恥ずかしいことでも迷惑でもないよ。
だって、たった1人大切なあなたが危険にさらされなかったんだもの。
私の夫は、私に変なことする奴がいたらほんとに殺しちゃう。ほんとに。いつもそう言われてる。気をつけてよ!って。
だから私は、自意識過剰レベルで自己防衛してる。
電車で男の横に座らないとか、お店のトイレにスマホは必ず持ってくとか。
とにかく気をつけてる。
でもそれでいい。
だって変な人って誰でもいいんだもん。
女なら、なーんでもいいんだもん。
それに気づけてる子は、きっとあまりいないと思うから。
若い子は、みんな気をつけようね。
きれいなものを、きれいだと思うこと。
眠れない。
眠れなすぎる夜は、写真を見るのが結構好きだったりする。
眠れない夜にツイッターとかインスタ見たって心に余計なものがはいりこむだけだし。
こんな時間に社会人の友達にライン返したら、こいつ暇かよってなるし。笑
アルバムの”旦那さん💕”というフォルダの中を、永遠にスクロールする。
楽しそうな自分と、楽しそうな旦那さん。
幸せだ。
たまにでてくる昔のラインのスクショの中の
会いたいとか、今日会えるじゃん!って会話。
なつかしいなあって。
それでふと思い出した。
旦那さんが、付き合った当初からずっと私にいってくれる言葉。
「君には綺麗なものを綺麗だと感じる心がある。それはとても素敵なことだよ。僕は君にたくさん綺麗なものを見せてあげたいし、いろんなところへ連れていってあげるよ。」
それは、私一人では到底気づけないことだと思った。綺麗なものを綺麗だと思う心が、そんなに素晴らしいものか…?私はそう思った。
旦那さんは言葉通りに、たくさんのところへ連れていってくれたし、綺麗なものをたくさん見せてくれた。
堤防から見る夕焼け。
満点の星空。
まん丸なお月様や、消えそうなほど細い三日月。
満開の桜。
道に咲く紫陽花。
山を覆う雲。
数えればほんとにきりがないほどに。
旦那さんが見せてくれるのは、いつも日常の中にある風景だった。
ほらみて!って、いつも私に教えてくれた。
車でドライブしていても、月が綺麗だから少し見ようかといって、2人でずっと見ていたこともよくあった。
私が旦那さんと出会う前にも、きっと私の周りにはこんな素敵な風景があったんだと思う。
たくさんたくさんあったと思う。
でも私は、そんなことには気づかずにきっといつも違うものばかり追って、傷ついていた。
いつの間にか綺麗なものを見なくなってた気がする。
よく晴れた日の空は綺麗だし、気持ちがいい。
雨上がりの夜はたくさんの雨跡が外灯に反射してキラキラしてる。
すこし見方を変えれば、綺麗なものがたくさんある。
私はそれを旦那さんに教えてもらった。
ただそれを見て、綺麗だと思う気持ちがとても大切なことだと教えてもらった。
私は間違いもあったけど、自分の感じる心はまだちゃんと清いままだった。
小さい頃の、純粋な私のままだった。
それを見つけてくれたのは、旦那さん。
これからもたくさん綺麗な景色を2人で見たいなあと思いました。
死んだ後も一緒にいたい、そのくらい愛してます②
http://kenjun.hatenablog.com/entry/2018/06/24/022656
昨日の記事を受けて、夫がブログを書いてくれた。(上が夫の記事です。よんでみてね!)
ああ、ほんとに辛かったな、辛い思いをさせてしまったんだな、そう思った。
当時の心の葛藤とか、後悔とか、様々なことを思い出した。
だからといって、当時も今も私は夫から離れる選択なんて絶対にできないし、夫もそんなことは望んでない。
夫がブログを始めて、私のことも度々書いていた。
メンヘラ。人として備わってるはずのなにかがない女性をただただ愛するというのは、簡単にできることじゃない。私の夫は、それでもやってくれた。一生をかけて愛し、幸せにすると誓ってくれた。
きっと愛だけでも、知識での理解だけでも、人の心を救うのは難しいことだ。夫はひたすらに、ただ私を愛してくれる。愛しているからこそ私のことを理解できる。当然理解するのには愛だけではたりないこともあるかもしれない。でも結局、なにもかもが愛ゆえに、だと思う。愛しているからこそだと。
私も夫をとても愛してる。
でも、はじめから今のような愛ではなかった。好きだと言われたから好きだと思ったし、自分のことを愛してくれる相手を失いたくなかった。
ある時、夫も私と同じように苦しみながら自分と向き合ってるのだと気づいた。付き合ってすぐの時。どういう経緯かは覚えてないが、夫は泣いた。私より5歳も年上の男の人が縮こまって泣きじゃくるのをみて、どうにかしないとと思った。
いつも心に余裕があって、どんな時も私を優しく包み込んでくれる目の前の男性が、突然小さい子どもに見えた。いや、なってしまったのだと思った。
私は、受け止めることしかできなかった。
優しく抱きしめることしかできなかった。
夫が私にしてくれたように、真似するしかできなかった。
そうやってお互いがお互いを受け止めあった。偶然か運命か、私たちは同じような問題に苦しめられ同じように向き合っていたからこそ、今まで誰にも理解されなかった苦しみをたった1人、お互いだけはわかりあうことができた。
きっかけなんてそんなことはどうでもいい。お互い自分のためだった。でもそれが、愛すること、愛されることに繋がったとおもう。
私よりも先に、夫が私を愛してくれるようになった。最初はわからなかったことも、あとからわかるようになった。
私は高級なプレゼントやサプライズ、インスタにあげたらいいねがいっぱいきそうな、そんな表面的なことで愛情を感じようとしてた。それが愛されてるってことだと勘違いしてた。
でも違った。そんなやすっぽいというか、誰でもできることだけの愛情表現なんて、意味ない。夫の愛は、そんなものでは表現できないくらいはるかに深くて、大きなものだった。一緒にいるうちに、だんだんわかるようになった。
そんなふうに、だんだんと夫の愛を日々感じているうちに、私も夫と同じような愛情を夫に対して抱くようになったんだと思う。
夫は誰かに本当の自分を理解され、愛されたかった。そして、私をみつけて、がむしゃらに私のためにと助けて、愛してくれた。
夫が私を先に愛してくれたから、私も心の底から夫を愛するようになった。
私たちは、何もかもが違う。
脳みその作りから、会話の仕方、友達の選び方、趣味、思考…
ほんとうに、何もかもが違う。
だからこそ喧嘩もたくさんしたし、今でもする。まったくささいなことで口論になる。
でも、私たちのたった1つ同じことは、自分と向き合い続けてたということ。同じ苦しみをもち、それを一緒にのり越えたこと。そして、自分のような苦しみを、絶対に自分の子どもには味合わせないと決めてること。
それだけが私たちを繋げてくれた。私たちにたくさんの苦しみや憎しみ、それとは比べ物にならないくらいたくさんの幸福をもたらしてくれたのだと思う。
愛さえ芽生えてしまえば、趣味の違いとかそんなささいなことなんて、どーでもよくなる。
ディズニー映画シンデレラにでてくるフェアリーゴッドマザーの言葉を、私は小さい頃から信じてきた。
”信じていれば、夢は必ず叶うのよ”
私は、信じていたからこそ夫と出会い愛されることができたと思ってる。愛されることを心のどこかでは諦めきれてなかったからだって。
私は思うんだ。
今、苦しくて苦しくてたまらない人達に。
まだ大丈夫、引き返せるから。いつか必ず自分を愛してくれる人が現れるよ。その時に自分を粗末にしたことを死ぬほど後悔する。だから、幸せを諦めないで。そして、そんな自分も、どんな自分も許してあげて。大丈夫、くだらない言い訳だって、自分を許すためには通用するから。
ってね。
死んだ後も一緒にいたい、そのくらい愛してます①は、こちら↓
https://chocochiprin.hatenablog.com/entry/2018/05/23/013311
女だとえろい、男は普通、その感覚っておかしくない?
"セルフプレジャー"
この言葉を知っていますか?
まわりで知っているという人はいますか?
わたしは昨日、たまたま見たこの記事を読んで始めて知りました。
そして、とてもいいようのない気持ちになったのです。
工藤まおりさんは、セルフプレジャーについて、こう述べています。
‘‘マスターベーションは身体が求める自然な欲求。だからこそ、のんびり過ごす日曜日に顔のパックをしたり、髪の毛にトリートメントをつけたりするのと同じような気持ちで、女性の日常におけるセルフケアのひとつとして、自身の求める欲求に素直にこたえてほしい。irohaはそんな想いを込めて、マスターベーションを「セルフプレジャー」と呼んでいます”
(原文まま)
(以下、私もオナニーではなく、セルフプレジャーと記述していきます。)
私は、この”性”という得体の知れない魔物と長い間戦っていたように思います。
早すぎる性自認や、強い性欲。
誰にもいえなかったし、そんな自分が気持ち悪くて大嫌いでした。
自分はおかしい、恥ずかしい。なにが正しいのかもわからず、誰かに聞く事もできない。家族にも友達にも相談できなかった。
もしも、今同じように思っている人がいれば、ぜひこの記事を読んでほしいし、私のブログもこのまま読み進めてほしい。
私の性自認は、たぶん小学校三年とか四年とか。最初はたぶんよくわかってなかったと思う。ただ、本屋さんの漫画を立ち読みするのが好きで、そこでTLの漫画も立ち読みしてたのをすごい覚えてる。
当時は、ちゃおとかリボンとかの横に普通においてあって、カバーもしてなかったから。
なんにもわからないけど、ただ興奮して、本屋さんに行くたびに見てた。
(その時期私の家族は毎週金曜に本屋に行くのが恒例だった)
私は小学生のときから絵が好きで、漫画を描いたりしてたんだけど、エッチな漫画を思い出して自分も真似して描いたりしてた。エッチなことへの関心がきっとものすごくあって、それを消化できなくて、エッチな漫画かいたり、エッチな妄想したりしてたと思う。
(ちなみにこれはADHDの漫画家さんのざくざくろさんも似たようなことしてて、ちょっと嬉しかった。仲間だって思って。)
こっそり描いてた漫画だったけど、姉たちに見つかってといつめられて、公開処刑になった。めちゃくちゃ恥ずかしかったし、いけないことなんだって思った。
私は小6の時には、パソコンでエッチなサイトを見まくるようになった。
ここでも私は致命的なミスを犯す。Webの履歴機能を知らなかった。ある時姉二人と三人でパソコンをいじってるとき、ひょんなことから履歴を見る流れになった。私は怖くなってとにかくその場から離れたくて、半ギレで部屋を去った。姉たちの言い回しからして、私がエッチなサイトをみていたことを知っていてやっていたのだと思う。
私の性欲は、強くなるばかりだった。
だから、私がえろいことに興味があることを、きっと姉二人は気付いてた。
親はどうだか知らないけど。
このときたびたび思ってたことは、”自分が男だったらよかったのに。それかお兄ちゃんがいればよかったのに”ということ。男の性欲は普通で、全然へんなことじゃないから。
だけど私は女だから。性欲があるなんておかしいと。
私はいつからかセルフプレジャーを覚えた。
ちなみに私は性欲は有り余っていたけど、彼氏はいなかったので性欲をもてあましていた。中学三年になり、ガラケーがスマホに変わった。歓喜した。
「これで正々堂々とえっちなやつが見れる!!」
と思ったから。いたって大真面目に思っていた。
しかし、たとえ自分のスマホであっても、AVをみたりその行為自体の罪悪感はぬぐえなかった。
高校でも、彼氏はできなかった。
しかし私は、自分でいくのを覚えてしまった。きもちよすぎて感激した。
そして高校三年の時。
私にセフレができた。私はまったくその人が好きではなかったし、普通にきもいと思っていた。相手が私を好きではないことも知っていた。
しかし、私は寂しかったからそんな人としていた。依存してた。
でも私には、それ以外に様々な思いがあった。セックスをしてみたい、他人にいかされてみたい。みんながやってることを自分もしてみたい。相手もいなくてしてる自分なんて惨めだ。という昔からの自慰行為への嫌悪。自分の性の欲望と目の前のセックスが混在していたし、自己肯定感の低さや、寂しさもあった。好きじゃない人との行為に対して、それはそれはたくさんの言い訳をした。結局のところ、好きでもない人に求められるのになぜか断れない自分の矛盾を、性欲のせいにしたのだ。
気持ちのいいセックス、好きな人とするセックスを知らなかった私は、今思えばその人とはAVのプレイをしているように捕らえていたような気がする。
お互いが心の寂しさをうめあい、お互いが自分の中の欲望をむき出しにしていた。
今考えるとなんとも気持ちが悪い。
私は、当時が一番自分のことを心底気持ち悪いと思っていた。
性欲のために好きでもない男とする自分を、嫌悪していたし、それでも何回もセルフプレジャーをする自分は異常者だとも思っていた。なにか言い訳をしないと行為をする自分を守れないのに、その言い訳でさえも自分を苦しめた。
私の場合、結局のところもとをたどれば愛着障害が問題なのだが当時の私は、寂しさだけでこんなことをする自分すらも認めてあげられなかった。
そんな時、類は友を呼ぶという言葉通りに、傷のなめあいをする友達が三人もできた。
援助交際や風俗をしている子達だった。みんな同じクラスで、みんな普通の子だった。親もいた。容姿もかわいかった。けれどみんな結局は、自分の中にある虚無感にしたがって、そんなことをしていた。
彼女たちと話すうちに、自分の性欲や、セルフプレジャーをすることはまったく普通のことなんだと始めて知った。ずっと心にあった自分への恥ずかしさや嫌悪感は、少しだけ、でもだいぶなくなった。(一歩しか進んでないけど、その一歩がかなり大きいみたいなイメージ。)私は夫と付き合うようになって、彼女たちとは距離を置くようになった。でも、あの日、サイゼで語り合ったときの感動は一生忘れないし、めちゃくちゃ感謝してる。女性のセルフプレジャーはおかしいことじゃない。性欲が強い女性だっているに決まってる。そう始めて思うことができたのだから。
愛着障害のある私からすると、性欲やエロは、つらい現実からにげるための道具だったのではないかと思う。私の場合両親の喧嘩や、自分が嫌いだということから。求めらるのが嬉しいというのも、そこに関係がある。(先ほど紹介したざくざくろさんとは、愛着障害という部分で共通点があると思う。)
実際私は今、昔に比べて性欲が減った。
それは、夫に心から愛されているからだと思う。心が満たされているので、セックスをしなくても心に愛が常にある感じ。
夫のセックスは、セックス講座を開けるんじゃないかと思うくらい気持ちがいいし、愛や思いやりにあふれてる。もちろん、はじめからいきまくり潮吹きまくりに気持ちよかったわけじゃない。お互いが満足するように、特に私が気持ちよくなるように気遣ってくれたおかげだと思う。お互いを尊重し、コミュニケーションをよくとっていたからだ。でもやっぱり、セルフプレジャーもする。
(だって自分でするのとセックスは別物だもの!!)
私も夫も、相手がそうすることを知っているし、それを嫌悪したり恥ずかしがったりしない。
だからといってセックスに満足してないわけではないし、欲望のままに浮気をするなんてありえない。私たちは、とても理想的な性生活をおくっていると思う。
最初の記事とはまた別の視点で、性についてここまで書きました。
もちろん今の私は、性欲というものをよく理解してるし、それに翻弄されることはない。
女性がセルフプレジャーすることは、普通のこと。
朝起きて、おしっこして、ご飯食べるのと同じくらい自然なこと!
恥ずかしいとか、はしたないと思って、本当のことを教えてくれないほうがおかしいよ。自分だってするのに、ばかにするほうがおかしいよ。
私は今悩んでる方や、昔の自分にいってあげたいと思います。
母という唯一無二の存在が、私にもたらした幸福と絶望
今日は、一日なにもしたくなくて、本当になにもしなかった。
メンヘラあるあるだと思うけど、なにかひとつでもうまくいかなかったり、ささいなことでつまづくと、なにもかもが嫌になってしまう。
今日はそんな一日だった。
たとえば今日は、なんか嫌なことがあって朝から不機嫌を夫にぶちまけて、
そのまま気分が急降下して、泣いた。
でもそのなんか嫌なことすらもう忘れちゃった。
だからやっぱりその程度のことだったんだ。
ところで、前の前の記事を書いたとき、自分が境界性パーソナリティ障害になった原因を考えた。
そもそも、私はずっと自分がこうなったのは父親のせいだと思った。
アダルトチルドレンをこじらせためちゃくちゃな父親のせいだと。それに私は昔から母親が大好きだ。むしろ母親はあんな父親の被害者であり、そんな中、私たちを育ててくれたという思いが強かった。だから、健全な母子関係を築いてると盲目的に信じて、疑わなかった。
でも、その思いは、間違っているのではないか?と、思い始めた。きっかけは、岡田尊司さんの本‘母という病‘を読んだことだった。
確かに私たちの父子関係は健全なものではなかったので、多少は原因があると思う。でも、きっともっと深いところでは、母親との関係のほうが問題があったのではないかと思うようになった。
母親のほうが人格的にひどい人だったとか、そういうことではない。単純に父子関係よりも、母と子のつながりのほうが、子どもにとっては何倍も大切だからだと感じたからだ。本を読むと、よくわかる。
そのことについて始めて気づいてしまった時、私の心はどうしようもない感情に打ちのめされた。また別の記事で詳しく書いていきたいが、いきなり周りが真っ暗闇になってしまうような感覚だった。
気付かなければよかったと心底思った。大泣きした。
最初から私たちの母子関係を、あまり健全ではないと思っていた夫は、そんな私を優しく抱きしめてくれた。
しかし、ここで私はさらに絶望した。
父性が足りないと思い、はじめて夫にすがったときのように、心が満たされなかった。
私は夫をぱぱと呼んだり、世話をやいてもらうことで自分の中のたりない父性を満たしている。正直言って、父親には代わりがきく。少なくとも私の場合は。こういう言い方は失礼だが、言ってしまえば私の夫で十分ことたりてしまう。いつまでも父性を求めてもがくことがない。しかし、母性の欠如は、きっと誰にも埋められないんだと気付いた。最愛の夫であっても。
その時、私はさらにめちゃくちゃ泣いた。自分の母親へ、強烈になにかを求めていたこと、しかし一生わかりあえないということを同時に気付いたから。そして、ほぼすべての私の問題を解決してくれる夫に頼ったところで、どうにもならないとわかったから。
何が言いたかったかというと、私は全然克服していなかったということだ。
境界性パーソナリティ障害を読んだ感想を書いて、私は病んだ。それは夫と出会う前、愛がほしくてたまらないときと同じだった。
自分と母親のことに関しては、まだまだ心がおいついてこない。
一難去ってまた一難だ。
おわり。
おやすみなさい。
ゆうこすアップデートサロンは、すごい
今日は、ゆうこすアップデートサロンのイベントに行ってきました!
ゆうこすアップデートサロンは、一期生と二期生がいて、その二期生の親睦を深めようというイベント。
私は、ゆうこすアップデートサロンのイベントや勉強会にでるのはこれが初めてで、すごく緊張したし、実際笑ってるだけで、なにか特別に話したりはできなかった。でもそれは仕方ない。特に自分を責めたり落ち込んでも無意味だから、しない!
強く思ったことは、
「私はなにもしてないな」
ということ。
たしかにブログやインスタはやってる。でも、それだけ。ほんとに、それだけ。
サロンの方たちは確固たるなにかが自分の中にあって、そのために具体的な行動をしているイメージだった。
とにかくみんな積極的で、周りの意見を聞いて、すぐに自分の中でアイディアがでてくる。そして、思いついたらそこで言葉にする。
私はその流れを笑いながらみていた。
私の元々の性格もあるのだと思うけど、たくさんの人が話してるのを、脳みそに届けて、理解して、反応する。それまでの動作がたぶん人より遅い。日常会話とかでもよくなる。特に、理解して、反応する、というのが、はじめましての場面だと余計に遅くなる。
たぶん、人の顔色うかがいやすいから、どんな反応すればいいのか?って人より余計に考えてしまうんだと思う。
自分の中で、なにか意見はないかとか考えたけど、すぐには出てこなかった。
帰りの電車の中で、「あ、そういえばこういうことしたいな」と、今さら思った。笑
参加してみて、ゆうこすアップデートサロンというのは、改めて凄いところだと思ったな。例えば、私が今こうして普通に主婦として生きてて、フリーランスのWebデザイナーの方と繋がりをもつことができるだろうか?!!できるわけがない!!でも、今日はサロンに入ってるという共通項のもと、お話をきけることができた。
(少しでも私がWebデザインのことをかじっていたら、話すきっかけができて、もっとお話がきけたかもしれない。)
途中からゆうこすも会場に。なんだか、改めて思ったのは、「ゆうこすも普通の女の子なんだな」ということ。変な感想だけど、見れば見るほどそう思う。普通の可愛らしい女の子。
見た目は普通の女の子。本当に。でも、少なくとも、サロンに入ってる人たちは、ゆうこすを目指してる。ゆうこすによってつながり、アップデートしようとしてる。ゆうこすにはそれほどの魅力と実績、信頼がある。なにより行動力がものすごい!中身は全然普通じゃない。すごいなあ、すごいなあ、とほんとに思う。
ゆうこすは、いい意味で目指しやすい存在だと思う。
正直私は、「この子にもできるなら私にだってできるはず!」そう思って、ゆうこすの本、SNSで夢を叶えるを買った。
”可愛いツイッターの子”から、
”目指すべき人”にかわった。
そしたら、ゆうこすのすごさがめっちゃわかるようになった。
ゆうこすのことをもっと研究して、サロン内での勉強会や企画にも、積極的に参加できたらいいなと思う。
SNSで夢を叶える ニートだった私の人生を変えた発信力の育て方
- 作者: ゆうこす
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2017/09/14
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私には、確固たる自我がない。夫にも言われる。それってめちゃくちゃやりにくい。
なにかしたくても、なにが自分がわからない。自分の本当にやりたいことも、すぐかわったりぶれぶれ。
自分をブランディングしようものの、なにが本当の自分かわからない。そう。もうそれ以前の問題なんだ。
とっても大変なやつだなあ自分は、と思うけど、夫の助けも借りながら、なんとか自分を模索してる。
今日みたいな始めてましての集まりはやっぱり苦手で、余計なことで頭がいっぱいになってしまう。
(この人にこう思われたかな。こういうふうに思われてるのかな。お茶飲もうかな。お菓子食べようかな。あ、今のよくなかったかな。帰りたくなってきた。どうしよう。)
こんな具合に。笑
人の気持ちが気になって気になって仕方ない。他人は私にそれほど興味ないってことはわかってるんだけど。わかっていながらも、私はめちゃくちゃ気にしちゃう。
(これも根底には、愛着障害という原因があるんだけどね)
だけど、やっぱりいろんな人と会うこと。特に、同じような目的で集まった人たちと交流するのは、自分を奮い立たせる。
もっとこうしよう、なにかを学ぼう。負けたくない、成功したい。すごいって思われたい。
そんな気持ちでいっぱいになる!そんな機会、なかなかない。
少なくとも私の友達に、そんなこと思わせてくれる子はいない。
今、いろんなことに手を出しつつあるから、そこに優先順位をつけよう。
なにをやるか、どれに時間を割くか。
自分の活動を見直していきたいと思ったな。