幸せなメンヘラの備忘録

可愛そうなメンヘラが幸せなメンヘラになった。おはようからおやすみまで、愛してるよとささやかれて生きれる奇跡。

母という唯一無二の存在が、私にもたらした幸福と絶望

 

 

今日は、一日なにもしたくなくて、本当になにもしなかった。

 

メンヘラあるあるだと思うけど、なにかひとつでもうまくいかなかったり、ささいなことでつまづくと、なにもかもが嫌になってしまう。

今日はそんな一日だった。

 

たとえば今日は、なんか嫌なことがあって朝から不機嫌を夫にぶちまけて、

そのまま気分が急降下して、泣いた。

でもそのなんか嫌なことすらもう忘れちゃった。

 

だからやっぱりその程度のことだったんだ。

 

 

ところで、前の前の記事を書いたとき、自分が境界性パーソナリティ障害になった原因を考えた。

そもそも、私はずっと自分がこうなったのは父親のせいだと思った。

アダルトチルドレンをこじらせためちゃくちゃな父親のせいだと。それに私は昔から母親が大好きだ。むしろ母親はあんな父親の被害者であり、そんな中、私たちを育ててくれたという思いが強かった。だから、健全な母子関係を築いてると盲目的に信じて、疑わなかった。

でも、その思いは、間違っているのではないか?と、思い始めた。きっかけは、岡田尊司さんの本‘母という病‘を読んだことだった。

 

(017)母という病 (ポプラ新書)

(017)母という病 (ポプラ新書)

 

 

確かに私たちの父子関係は健全なものではなかったので、多少は原因があると思う。でも、きっともっと深いところでは、母親との関係のほうが問題があったのではないかと思うようになった。

 

母親のほうが人格的にひどい人だったとか、そういうことではない。単純に父子関係よりも、母と子のつながりのほうが、子どもにとっては何倍も大切だからだと感じたからだ。本を読むと、よくわかる。

 

そのことについて始めて気づいてしまった時、私の心はどうしようもない感情に打ちのめされた。また別の記事で詳しく書いていきたいが、いきなり周りが真っ暗闇になってしまうような感覚だった。

気付かなければよかったと心底思った。大泣きした。

最初から私たちの母子関係を、あまり健全ではないと思っていた夫は、そんな私を優しく抱きしめてくれた。

しかし、ここで私はさらに絶望した。

父性が足りないと思い、はじめて夫にすがったときのように、心が満たされなかった。

私は夫をぱぱと呼んだり、世話をやいてもらうことで自分の中のたりない父性を満たしている。正直言って、父親には代わりがきく。少なくとも私の場合は。こういう言い方は失礼だが、言ってしまえば私の夫で十分ことたりてしまう。いつまでも父性を求めてもがくことがない。しかし、母性の欠如は、きっと誰にも埋められないんだと気付いた。最愛の夫であっても。

その時、私はさらにめちゃくちゃ泣いた。自分の母親へ、強烈になにかを求めていたこと、しかし一生わかりあえないということを同時に気付いたから。そして、ほぼすべての私の問題を解決してくれる夫に頼ったところで、どうにもならないとわかったから。

 

 

何が言いたかったかというと、私は全然克服していなかったということだ。

境界性パーソナリティ障害を読んだ感想を書いて、私は病んだ。それは夫と出会う前、愛がほしくてたまらないときと同じだった。

自分と母親のことに関しては、まだまだ心がおいついてこない。

 

 

一難去ってまた一難だ。

 

 

おわり。

 

 

おやすみなさい。