幸せなメンヘラの備忘録

可愛そうなメンヘラが幸せなメンヘラになった。おはようからおやすみまで、愛してるよとささやかれて生きれる奇跡。

心の成長まで、ちゃんと面倒みてよってかんじ

 

なんだか最近いろいろなことが起こって、

環境とかじゃなくて、自分の心の変化が凄く大きい。

 

ここにも自分の気持ちとか書きたいことが

やっまほどありすぎる。

 

 

岡田尊司さんの”父という病”を読んでの感想とか、自分でわかったことをかこうっと。(実はあと10pくらい残ってるけど笑かきたすぎて書くよ)

 

(051)父という病 (ポプラ新書)

(051)父という病 (ポプラ新書)

 

 

 

 

 

まず、私は完全に母子密着をしてる。

母子密着って言うのは、こどもは普通親に同一化しようとする。(例外もあるけど一般的には息子は父親、娘は母親にするらしい)小さい子ってすぐ親の真似するイメージなんだけど、たぶんそんな感じだと思う。

 

でもずっと同一化してるわけじゃなくて、やっぱり自分が一人の人間として

主体性をもったり、自己のアイデンティティを確立していく上で親とは離れてく。だって親とは別の人間だから。

その過程で反抗期とかがおきると思うんだよ。

 

そして、同一化からうまく離れるには父親の存在がでかいらしい。

だから父親がいないとか、うまく機能していないと同一化から離れるのが難しいんだって。母親は、その人のすべてにおいて必要な存在で、父親は社会で生きるうえで重要な役割をしてると思ったよ。

 

 

私の家庭環境を簡単に説明するね。

私は5人家族の末っ子で、上に姉が二人いる。

あと犬と猫を飼っていたよ。

 

私の父親は完全に機能不全。彼も壮大な愛着障害を心に抱えてたために、

ほんのささいなことでよく怒ってた。

今思えば私の母親に安全基地とか母親役を求めていたんだと思う。

ほんとにすぐ怒るし理屈は通らない、一番嫌だったのが自分がしょうがないことできれてわめき散らす上に、絶対に謝らないこと。

それと、そとづらがくそほどいいこと笑。ま、家族+親戚とか、家族ぐるみでの遊びとかだとやっぱり怒っちゃうんだけどね。

あと、問題とか、人と対峙できない人だから、子どもにちゃんと叱れないの。自分にとって不快なことがおこって、思い通りにならないときだけ馬鹿みたいにわめいて、子どもが悪いことしても、叱れない。大切な話もできない。

 

 

それに対して母親も、父親ほどではないと思うけど、愛着障害を抱えてる。

どっちかっていうと母親も父性が枯渇したまま生きてきたから、たぶん私の父親に父性を求めてた部分はあったとは思うんだよね。

母親は、きっといろんな問題に目を背けてきた人だと思う。

自分のこととか、親のことも、きっと何かしら理由をつけて、なんかわかんないけどとにかく前向きにがんばろ☆みたいな。イメージだけどやばい恋愛をしたんじゃないかなあって勝手に思ってる。笑どーかな。

まあたぶん自分ひとりで生きるとか、夫が愛着障害のない人だったらすごく幸せだったんじゃないかなって思う。

あと、母親に昔のこととか、結婚する前の両親の話を聞いても、いつも忘れちゃったでごまかされるから、特にいいエピソードもないんだと思う。

(正直親のすべてはわからないから間違ってることもあると思うけど、でも自分を知るために知りたいから、絶対にいつかもっと聞き出す。)

 

 

とにかく私の両親は精神的に幼稚で、でも体裁とか礼儀だけはちゃんとできる(お互いの親がそんな事ばっか教える人だったから)だから一応大人になりきれてる。子供たちへの愛情は確かにあるんだけど、弱くて、問題に対峙できないから、子供ともまともに向き合えないような親なんだ。

特に私は三女だから、特別甘やかされたし、親に嘘つくのもとっても上手だったよ。親にだめって言われたことも平気でして、自分のやりたいことやってた。もちろん、親にばれない範囲でね。いわゆる親の前でだけいい子みたいなかんじ。

 

 

親の喧嘩による子どもの悪影響ってめちゃくそあるんだけど、

私は生まれつき繊細だったのも加わってそれが心にダイレクトにきてる。

(検索するとでてくるけど、特にこのサイトわかりやすいよwww.nhk.or.jp/gendai/articles/4078/index.html 

 

自己肯定感や自尊心の低さ、すぐに人の顔色を伺うところとかはそのせい。

 

まだ幼かった私は、喧嘩してる両親、そのあとにはいつも泣いている母親を見て育ったから、悪いのは全部父親で、母親はいつもかわいそうな存在だと思ってた。

この気持ちは旦那と出会うまでは、ずっと変わらなかったんだよね。19年とかだよ笑。ながっ。喧嘩だって実際には父親だけの問題でもないんだけどね。

自分の心の問題さえも父親だけの問題って思い込んでたし。

 

 

あと、父親の母親(私のおばあちゃん)がもうやばい人で、

本人自覚一切なしで、デリカシーないこととか失礼なこと言っちゃうタイプの人。酒やタバコは馬鹿がやるもの。いい大学、いい会社に行くことがすべて。それで人の価値が決まるのよってかんじで。やばいでしょ?笑しかも本人はずっと家にいて働いたことも車の運転もしたことないんだもん。世間知らずの見栄っ張り女王だよ。学歴の話めちゃするもん(母親がこんなんだから、私の父親がひどい愛着障害になるのなんて必然としかいえない笑)

私が4歳ころまでは二世帯住宅で一緒に住んでたから、お母さんの負担は相当やばかったと思う。

 

 

旦那という逃げられない問題ができた。それ以外にもたくさんの問題があって、ストレス過多の中で、もともと愛着障害があった母親の心はたぶん耐えられなかったんだと思う。

 

 

両親の喧嘩は、私が中学3年くらいのころにぱったりなくなった。父親がささいなことで怒らなくなったから。

まあ、それはいいことだしやっと心の平和をつかんだ感じだけど、

私の愛着障害による心の枯渇が本格的に始まったのはこのころかな。

 

 

めっちゃ長くなったけど、私は母親に同一化してきた。今だからわかることだけど、本当に私はマザコンだもん。母の日や誕生日にむりして高めのものをあげたり、葬式とかで母親が悲しむ姿を見ると、自分のほうがめちゃくちゃ不安になる。

 

ひとつすごく思い出深いエピソードがある。私が小学6年生くらいのこと。私と父と母で犬の散歩をしていた。確か犬が突然走り出して、その拍子に母がこけた。顔面から。母は顔面に痛々しいかすり傷と、前歯が一本折れてしまった。そのときの父の様子は覚えてないけど、家に帰り、姉たちに父がそれを話すと大爆笑していた。しかし私は部屋にこもり、恐怖で泣いた。なぜか、母がこんなことになったのはとても重大な悲劇に感じたし、それが自分のせいだと思った。(結局病院で偽歯をつけてもらってたけど、そんなことができるって知らなかったから余計怖かった)母が「歯が折れちゃった」と、悲しそうにいっていたことを何回も思い出して、次の日学校にいても泣き出しそうになった。数週間後、そんなことすっかり忘れていて、私の友達と家族ぐるみでBBQをしたときのこと。調子に乗った父親が母の歯が折れたときのことをみんなの前で面白おかしく語っていたのを聞いて、本当に殺意が沸いたとともに自分が責められているようで悲しかったのを覚えている。

 

私は、小さいころからの”母親がかわいそうな人”という呪縛から逃れられていなかった。母親との愛着はあったとは思うのだけど、その安全基地はあまりにももろく、到底幼い私のすべてを受け止められるものではなかったと思う。なのに自分が嫌いで主体性皆無な私は母親にすべてをあけわたしつつあった。(でも私の母親も主体性がないから私を思い通りにコントロールすることも、導くこともできなかったんだ。)

もちろん、父親が機能不全なのも手伝ってのことだけど。

 

 

ここで、家族や父親に必要なまでに執着してきた私は、実は母親にもっとも執着していたことに気づいた。

いつまでたっても母親から精神的な意味で離れることができないでいた。

 

私はそれに気づいたとき、小さな反抗をしようと思った。いつもいつも無意識のうちに母親がどう思うかを考えて、母親が怒らないように行動してたのをいったんやめることにした。(20歳で健全な母子関係を築いている人なら、親の気持ちを思いやりなにか行動することは必要だと思う。しかし私は自立に向かっているんだ。)

実は私は近々夫と二人で引っ越すことになったのだけど、その日程とかを自分からは言わないようにした。極力自分からの接触をさけるために。

私の母親はきっと、私たち子どもが親に自分から言うのが礼儀とか何とかいってくる。

だけど私は今反抗期なんだ。。

 

 

すると母親から電話がかかってきた。

 

 

「なんで引越しの日程を教えてくれないの?あなたが先に言うのが筋でしょう?お父さんにも自分でいいなさい。あれでも心配してるんだから。」と。

(実際にはもっとおどけてて、優しいかんじで)

 

 

うるさい。わかってる、私は全部わかってるんだ。こっちがいってくるのを待ってることも、それが礼儀とかいうことも、お父さんが心配してることも。全部わかったうえでやってるんだよ。じぶんのためにやってるんだよ。私はお母さんが好きだよ、大好きだよ。好きだけじゃなくて、もっといろんなことを考えたから、わかってるんだよ。だけどなにをしても、あなたが私という人間とほんとの意味で向き合ってくれない、わかりあえない。それもわかってるんだよ。だからこそ、自分が幸せに生きるためにやってんの!!!!

 

なにもわからない周りの人たちは、私がおかしいと思ってる。

 

だから私は、自分の思いをこのブログにぶつけてるんだ!!!!!!!!

 

 

 

 

私は、これは私の反抗期ということにして、家族、主に母親から精神的な意味での自立をしたいと思っている。

反抗期さえ与えてくれなかったのは、両親なんだよ。

 

 

だから今、その気持ちをばねに絶対に大物になってみせる。

 

 

 

こんな風になれたのも、本当の安全基地を私にくれた夫のおかげだよ、本当にありがとう。愛してるよ。

 

 

過去記事と、岡田尊司さんの本です。

 

(017)母という病 (ポプラ新書)

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愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

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