幸せなメンヘラの備忘録

可愛そうなメンヘラが幸せなメンヘラになった。おはようからおやすみまで、愛してるよとささやかれて生きれる奇跡。

⚠︎とても病んでます

 

 

 

完全に心が闇落ちしてる。笑

 

 

自分の存在そのものが消えてしまえばいいのに

消えたら悲しむ人がいるから消えない。

 

 

ただただ、目の前の問題から逃げ出したい。

 

 

だいたい、鬱って言ったって、いつから?

原因は?

 

 

心臓がばくばくすると、不安になる。

早く動きすぎて気持ち悪くなる。

 

 

1日が短いと思ってた時もあったけど、

今は1日が長すぎる。

 

 

それと、薬の効果を知った。

薬はすごい。

ないとあるとじゃ全然違うんだ。

 

 

こんなに薬ばかり飲んで、いつか妊娠

した時なんの問題もないのかな。

それが少しきになる。

 

 

結婚てなんだろうねって、言われた。

なんだろうね。

でも、ずっと一緒にいたいと思ったからだよね。

 

親と距離を置くことを選んだのに、

実家に帰った私が悪かったと今はわかる。

 

完全に裏切りだなと。

 

私は、働くこともできず、無能で、鬱になり

さらになにもできなくなった。

 

家事は全部夫がやってくれてる。

 

自分ってなんだろう。

 

最近は絵も描いてない。

 

楽しいことも好きなこともなくなった。

やりたかったこともやれる気がしない。

 

 

やっぱり鬱だった。

 

 

先々週くらい、夫に連れられて初めて

精神科へ行った。

 

鬱病だった。

 

まあ、中学生の時からただ寂しいと思って

泣いたり、自分が嫌いで泣いたり、

感情の浮き沈みが激しかったり…

 

今思えば小学生からの金縛りや

ナルコプレシーっぽい症状、

昼間の強烈な眠気、とか鬱になる要因は

たくさんあって、

 

そして鬱になったんだろうなと思う。

 

 

自分なりに頑張って、精神削って続けてた

イラストインスタも、今はストップしてる。

 

 

どうしても比べてしまうから、やめた。

 

 

せっかくフォロワーが増えて、

頑張ろうって時だったけど少しお休み。

 

 

先週から実家に帰ってきてる。

 

 

なんだかお腹がすかなくて、

お母さんのご飯が食べたいなと思って

帰ってきた。

 

 

両親と自分のことはなんだかいろいろ

思うところがあったけど、

実家に帰ってきてからはなんだかんだ

自分の中で折り合いがついたと思う。

 

 

気づいたら、自分の親にも家族にも

期待しない自分になってた。

もちろんいい意味で。

 

 

今まで癒着してたのが、ゆっくり

はがれ始めたと思う。

 

 

お母さんに鬱になったから帰る。

昔から鬱っぽくて病院に行った。

 

 

そうラインした時に、

 

 

気づかなくてごめんね

 

 

と、きた。

 

 

でもいざ帰ってみれば、

鬱って薬飲むんだ、とか大丈夫なの?

とか、なんていうかどこか他人事で

鬱を自主的に調べたりはしてなくて。

 

 

母親なりにもちろん心配してくれてるのは

わかるんだけど、

そこで妙に諦めがついた気がする。

 

 

母親の生き方や、子育ての方針が、

たまたま私には全く合わなかったんだなと

思う。

 

 

母親も、盲目的に自分の楽観的な生き方を

私に投影して、似てると思ってるのかな。

わかんないけど。

 

 

私は実家に帰り、親戚にあって、

どんな自分でもこんなに歓迎されて、

受け入れてもらえることに驚いた。

 

でも嬉しかった。

 

 

だから、自分なりのペースで頑張ればいいと

わかった。

 

 

お母さんには、再来週のいとこの結婚式まで

実家にいればいいじゃん。

と言われた。

 

ね、お父さん。

 

いつも父親のことなんて頼りにしないくせに

こんな時だけ同意を求めてて

心底嫌だなと思った。

 

基本的に両親を嫌だなと思うと

うまくいかないから、思いたくないのに。

 

 

私はもちろん夫と一緒にいたい。

つまり帰りたい。

 

 

なんか、寂しいなあと思った。

心が、寂しいなあと思った。

 

 

鬱の薬のおかげで最近はこんな感情には

ならなかったのだけど。

 

 

早く働いて、お金を貯めたい。

安定したお金のある生活は、やっぱり

心を安定させる。

最低限でいいから、安定したい。

 

 

ところで夫はADHDだったので、

私がフォローしなきゃだめなところが

浮き彫りになった。

 

 

だから、夫のためにも早く働きたい。

 

 

それと、精神科の先生はあまり好きではない。

でも、違うところに行き、また話すのは

嫌なので、通い続けよう。

 

 

 

私が実家にいて精神が安定してるのは

 

甥が毎日遊びに来ること。

猫と犬を飼ってること。

お金の心配がないこと。

自分の部屋にこもれること。

部屋が常に綺麗なこと。

家事をしなくていいこと。

 

特に上4つが大きい。

 

 

甥の存在はほんとにでかい。

 

まだ2歳の甥という天使は、

泣いても笑っても怒っても叫んでも

何をしてもまわりをひきつけて、

笑顔にさせるから。

 

私は甥に救われている。

 

 

甥よ、ありがとう。

 

 

 

 

じゃあね、ばいばいの意味とは。

 

 

この記事は、自分の気持ちの整理のために

書きます。

私と、私の母親のこと。

 

 

昨日の朝、母親と姉から大量の電話がきた。

内容はわかっていた。

いとこの結婚式の出欠の確認。

 

このいとこは、前の記事に書いた子で、

とても苦手。

嫌いとかより、自分の気持ちを激しく

揺さぶられる。悪い方に。

 

だから私は出席したくなくて、でも、

欠席ともいえなくて放置していた。

 

そしてそれを早く知らせろという催促電話

だった。

 

 

仕方ないのでいとこに欠席でとラインして、

母親の電話は折り返さなかった。

かわりに姉の方に言ったということを

ラインで伝えた。

 

 

すると今朝、また母親から電話がきた。

正直でたくなかったけど、仕方なくでた。

 

 

母親はいつものように明るい声で

 

なんで電話でないの〜〜?

結婚式でないの?そう。

じゃあお祝いだけ送らないとね

 

などと、話した。

少しぎこちなかった。

私が結婚式を欠席するのを

納得できないことを飲み込みながら、

私と話してるとわかった。

 

 

 

そして、今さっき、また母親から電話がきてた。

(もう夕方)

 

 

折り返すと、今朝の話の続きで、

 

お祝いはいくらくらいでいいと思う、

なにか荷物送ろうか?

お盆は帰ってこなかったね〜〜

 

とか、姉の旦那の話とか、たわいもない

話をしていた。

 

母親が、朝は軽く流した

なぜ結婚式に行かないのか

という話題に触れてきた。

 

あなたは嫌いじゃなくても、相手は

きてほしいと思ってるんだからね

 

とかなんとか言われた。

 

私は、昔からいとこの集まりが好きじゃないと打ち明けた。

 

私は、母親にこの手の話をすると必ず

涙が出てくる。

 

なんでいとこの集まりが嫌いなのか、

それを言わなかったのか、

 

たぶんそんなことを泣きながら話した。

 

どんな話の流れか忘れたけど、

 

じゃあお母さんにどうしてほしいの?

 

と言われた。

 

そんなの自分で考えてよ。

自分で産んだ子どもでしょ?

私はずっと向き合って欲しかったんだよ。

 

こんな明確に、きちんとは言えていなかった

と思うけど、

こんな風なことを泣き叫びながら話した。

 

 

ひとしきり母親に話した。泣き叫びながら。

 

 

前に喧嘩した時、

私はちゃんと話したかったのに、

母親は怒って寝てしまったこと。

 

その際、

お父さんと同じことするんだね

と、言われたこと。

 

 

そのこととか、いろんなことを

泣きながら、話した。

 

 

そして、私は言った。

 

 

お父さんとお母さんのことは大好きだけど

こんな風に思ってしまうから

しばらくは帰らない。

 

 

母親はしばらく黙ってた。

私も黙ってた。

 

 

そして、

 

 

わかったよ。じゃあね、ばいばい。

 

 

そう言って、電話は終わった。

 

 

 

 

 

そもそも夫と出会う前、私と母親は

共依存関係だったと思う。

 

仲のいい、無問題の母子に見えていたのは、

私がそれだけ母親に依存し気を使っていた

からだし、

なによりその異常さに母子共々気づいて

いなかったからだ。

 

 

今回も、きっと母親は寂しかったから、

電話してきたのだと思う。

 

 

それはわかっている。

 

 

私は、自分が愛着障害があるとか、

自分と母親の関係が実は共依存

だったとわかってから、

母親や父親に対して昔は本当はこう思ってた、

こうしてほしかった、、、

 

 

そんなことをたくさん思うようになった。

頭の中で何回も何回も、

両親に自分の気持ちを伝えるシミュレーションをしてしまっていた。

そして、こんなこと考えてもどうにもならない

と思っていた。

 

 

母親と会っても、昔のそういうことばかり

一方的にぶつけてしまいそうだと思った。

さっきの電話のように。

だから会いたくなかった。

距離を置いたほうがいい。

 

 

自分の気持ちを言ったところで、

どうにかしてほしいわけじゃない。

 

 

母親を無駄に傷つけるだけだし、

自分も嫌なきもちになる。

後味が悪い。

 

 

私は電話で何回も

 

 

お母さんとお父さんのことは好きだけど

 

 

そう言っていた。

 

私が両親のことを本当に愛していることを

わかってもらえてないと思った。

 

本当はどうかわからない。

 

 

最後の、わかったよ、じゃあね、

それはどんな気持ちで言ったんだろう。

 

 

怒り?悲しみ?やるせなさ?

なんだろう。

 

 

電話だからわからなかった。

でも、母親が涙をこらえていたのはわかった。

 

 

わかりあうことができないのはわかってた。

だから、距離を置いたんだ。

だけど、いつまでもわかってほしいと

思ってしまう。

 

母親は、私の気持ちのなにもかもを

理解できないというのに。

 

わからない人に、一方的にわかれというのは

無理がある。

しかも、相手にとっては嫌なことばかり

なのに。

 

 

私は本当に子どもで、親のことが好きで、

好きを越して執着してるのかもしれない。

 

 

普通をわからないから、これが

正常なのかどうなのかわからない。

 

 

ただ、言いたいことだけ言って

電話を切って、私は夫を考えた。

 

 

でも、母親には誰もいない。

相談できる人がいるのだろうか?

 

母親の母親だって、そういう問題を

わからない人だし、

母親目線で見たら、私の母親だって

子供の頃は親の被害者だったはずだ。

 

母親には妹がいて、妹とはよく話しているけど

その妹の子供の結婚式を私が

嫌だと言ったから、相談できないかもしれない。

 

 

ちなみに父親は論外。

父親がまともに会話ができないから、

母親は子どもに依存してる。

 

 

可哀想だと思う。

母親が可哀想だと思う。

 

 

でも、仕方がないと思う。

 

 

そんな風にぐるぐるぐるぐる、、

考えてしまうから嫌だ。

 

 

私が一番わかってるのに。

この家族の形や、異常性や、なにもかも

私が絶対に一番わかっているはずなのに。

 

 

だけど、自分の心がもう少し成長しないと

だめだ。

 

 

みんなのことまで考えてられない。

 

 

確かに嫌なことはたくさんあった。

寂しかった。

自分がセフレを作ったり、恋愛依存、

自己肯定感の低さ、それからおこる弊害。

 

でも、楽しいことも感謝してることも

たくさんある。

楽しい思い出もたくさんある。

当たり前に大好き。

 

 

両極端の気持ちをぐるぐるぐるぐる、

行ったり来たりしてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女の子はみんな、きっとムダ毛に悩んでる

 

 

全身に茂っている私の毛について。

 

 

この間インスタにあげてかなり反響が

あったので、ブログで掘り下げて

書いていこうと思います。

 

 

長いです。

暇な時に読みましょう。

 

 

ここからは毛深いことがコンプレックス

だった私が、毛で苦労したこと、悲しかった

こと、悟ったこと、毛の処理方法

などをつらつら書いて行きます。

 

 

もしこれを読んでる男の人がいた場合、

彼女が毛深いよ〜〜とかいっていたら

このブログを読めば彼女の気持ちが

1ミリくらいは理解してあげられるとおもいます。

 

 

 

まず、私が毛深いな〜〜と初めて感じたのは、

小学生の時。

毛深いライフのはじまり。

 

その時は毛深いというより、あれ、みんなと違うと思った。

 

特に小学生って体がまだ未発達だから

腕や足に存在感のある毛がある子って

なかなかいない。

あっても産毛程度というか。

 

そして、たしか姉たちに

毛深いとか、そういうことを言われたことも

気にする要因の1つだった気が。

 

毛深いね、と言われて嫌で

母のカミソリでそろうとすると

母や姉から剃らない方がいいよ

って言われるというね。

これあるあるではないでしょうか。笑

でもたぶん剃ってたかなあ。

 

まあでも小学生の時はまだましでした。

剃り歴も浅いから毛深さは初期のままだし、

気にする子って全然いなかったイメージ。

 

 

あ、唯一小5の時に、修学旅行かなんかで

みんなで大浴場に入んなきゃいけなくて。

私はすでに陰毛が生えてたのがめちゃくちゃ

恥ずかしかったなあ。

 

 

中学になって、当たり前に毛を剃る毎日。

体育、特に水泳の授業は地獄。

もう、肩周りや背中に毛生えてる子なんて

全然いないから!!!!!!!!!!

しかも濡れると余計目立つし。

 

あと、脇毛剃っても剃ってもぜったい

のこる!!!、!!!!!

 

半袖の制服も座って伸びをすると

立ってる人からは脇毛もろだしですよね?!

 

向こうの方の子をみて

「あの子、脇毛ぼーぼーだよ」

とかヒソヒソしだす女子。

 

脇を固く締めながらその場をやり過ごす私。

 

きわめつけにさほど仲良くない女子に

「なんでここに毛生えてんの?」

(足の親指の毛をさしながら)

と言われ…

さすがにブチイっときてそそくさ逃げたけど

怒りの後は安定の悲しみ。

 

 

ここに毛が生えてる理由なんて

しらねえよおおおおおおおこっちがききたいわ!!!!!!しくしく

 

 

 

毛が嫌なら剃ればいいじゃん。

 

 

そう思う方もいるかもしれません。

 

 

しかし、おけけとはそんな生半可な

ものじゃあないんですよ。

 

 

ここで私がいち毛深い女として

たくさんの事情をご説明しましょう。

 

 

まず前提として、毛根の数が多すぎて

全てきれーいに剃り落とすことはまず

不可能。まじでむり。

太ももの裏とか、カーブの強い部位。

(届かないし、時間がいくらあってもたりない)

 

さらに

毎日剃らないと男の人のすね毛みたいなのが

生えてきてしまう。隠せない。

だから毎日毎日せっせと剃る。

そして毎日剃ることで着実に毛は濃くなる。

ちなみに私の場合毛が地上にでないのは

剃った直後だけ。

剃って寝て、次の日の体育の時間にはもう

毛がこんにちはしてました。

毛根しねーい!ってかんじ。笑

 

そして、綺麗に剃ったとしても黒いぷつぷつが

残るんですよ!!!!!!!!

 

毛がないはずなのに、黒プツのせいで

つるぴっかな肌には到底届かない…。

見た目がねえ…。

 

 

はい、つぎ、

当時私はカミソリで剃っていたのですが、

敏感肌だったので、どんなに頑張っても

気をつけて剃ってもぜったいどこかは

切れてました。

血ぃだらだらたらしながら剃ってましたね。

(いっそのこと皮全部はぎ落としたいなあと本気で思ってた、してないけど)

(今はシェーバー)

 

 

ちなみに中学、高校の時は、

何もない時は足と腕のみ。

夏場や体育の時はプラス膝上も。

プールの時は、足は全剃り。

肩や背中など手が届かないところは脱色して

ました。

(毛がないと思ってた子が実は毛深くて、脱色すればええんやと気づいた)

 

 

ちなみに一度毛について調べまくっていた時、

多毛症という言葉を発見したのですが、

産婦人科に検査に行く勇気も金もなく

おわりました。

多毛症の方の参考画像と説明を見たら

ぎりぎり多毛症じゃないな私は、とも

思いました。治療の範囲内になりたかった。

 

 

 

あ〜〜ほんとに大変だったね私。

えらい、えらいよほんとに。

今同じように頑張ってる子みんなえらいよ。

だって毛の悩みなんて誰も理解して

くれないからさあ。

そしてどうすることもできないもんね。

 

 

毎日毛をそるのは大変だし、

こんな毛だらけの体誰にも見せられない。

きっとこの先もこんな毛むくじゃらな女を

抱いてくれる男なんていないんだ…

 

私は中学生ながらに本気でそう思ってました。

 

(この頃から愛に飢えてたしねえ)

 

 

母親に向かって泣きながら

 

なんでこんなに毛深いの!!!!!!!

脱毛したいよ!!!!!!!!!!!!

 

と、怒鳴ったこともあります。

 

 

毛深い悩みって、いってしまえば

世の中の女子ほぼほぼあるじゃないですか。

 

つるぴかりんの子はいないはずなのに、

みんなツルピカりんになりたくて

毛が嫌でって。

 

でも私は明らかに他のことはレベチの

毛深さだったんですよね。

(きっと私よりも毛深い子だって

いるとは思うけど)

 

高校の部活の合宿や修学旅行等で

友達の裸を見つくしてきた結果、

こんな風な考えに至りました。

 

そして、最終的には、

みんな自分のことしかきにしてねえ!!!

じゃあ私のこと見てる人なんていないわ!

と、開き直り。

 

高校の時それに気づき、毛をきにするより

楽しいことを優先するようになりました。

(みんなでお風呂に入るとか海いくとか。

前までは毛が恥ずかしくて躊躇してた。)

 

 

それに、高校生にもなれば、

女同士であんた毛深いねとかって

わざわざ言わないのもわかってたので

あえて気にせずってかんじで。

 

 

昔からよく毛深いの嫌だなって

母には言ってたけど、言ったところで

私も毛生えてるよ〜〜みんなそうだよ

くらいしか言ってくれないですよね。

 

友達だってそう。

 

毛が生えてる程度もそうだけど、

本人の中での意識でめちゃくちゃ

コンプレックスになるなあと思います。

 

そんなさなかで、ごみくそセフレに

体を許した要因の1つにも、

 

「こんな毛が濃い女とセックスしてくれるのはこの人だけかもしれない。

この機会を逃したら一生誰も私を女として見てくれないかもしれない。」

 

という思考がありました。

(前提として自己肯定感がめちゃ低いのもあります。)

まあ、ツッコミどころ満載だけど。

 

とりま、まだ18歳という若さでそんなこと

思うのってほんとにあほか!!!って

思います。はい。

 

本気で愛し、愛されたこともないくせに

いっちょまえに毛が濃いと愛されない、

そしてセックスもできないとか

いいやがる…、!!!!!

 

過去の自分…!!!!!!!!!!

 

 

んなわけない。

むしろこれからなんだぞ。

自分を粗末にするな。

 

 

夫と付き合いだしてからは、

夫が何でもかんでも可愛い可愛いっていって、

私の毛さえも、個性として認めてくれたので

とても嬉しかった。

 

いつの間にやら全く気にならなく

なりました。

 

毛以外にも多いけど、自分で受け入れられない

所を受け入れてもらえるって嬉しいですよね。

 

 

それともう1つ夫がしてくれたことは、

私の毛の悩みに真剣に向き合ってくれた

ことです。

 

 

まだ付き合ってる時、電話をしていて、

なにかの拍子に私がわんわん泣きながら

毛のことについて語ったんです。

 

毛が嫌で嫌でたまらないっていうことを。

 

そしたら夫が、

 

「わかった。じゃあ、結婚したら医療脱毛

しようよ。そしたらなくなるでしょ?

俺が払ってあげるよ。」

 

って、言ってくれたんですよ。

 

 

おっとおおおおおおおお!!!!、!

 

嬉しかったです。

ほんとに嬉しかったです。

 

医療脱毛が受けられることじゃなくて、

私の毛の悩みを本気で解決しようと

してくれたことが、嬉しかった。

 

たかだか毛の処理に何百万て払うの

もったいないって普通思うじゃないですか。

 

でも、それで私の悩みがなくなるなら

って、言ってくれたんです。

 

「いや〜〜そんな大金あったら2人で

旅行したい〜〜」

 

 

って、泣きながら断ったんですけどね。笑

 

 

 

そんなこんなで毛の問題は本当に私の

人生において壮大なテーマでした。

 

嫌で嫌でたまらなくて、でも毛を気にして

みんなと楽しいことしないのも悔しくて

嫌で。

 

でもやっぱり皆んなにはない毛をみて

悲しくて悲しくて。

 

 

私はずっと大学生になってバイトして

絶対脱毛する!と決めてたので、

はれて全身脱毛して、今はもうおわりました。

 

 

ま、全身脱毛したところで毛は全然

生えてきますけどね!笑

 

 

もしも毛で悩んでる方がいたら、

それはほぼ全ての女子の悩みなんだって

思っていいと思います。

 

つまりみんな自分に必死で他人のことなんて

みてないことのが多いよってこと!

 

それと、毛が生えてるから汚いとか、

自分の価値が下がるとか、

好きな人に嫌われるとか、

ぜったいないと思います。

 

産後はホルモンバランスで毛深くなるって

噂だし。

みんなきっとそうなる可能性を秘めてる。

 

毛があったって楽しく生きたい〜〜

 

こんな、その名の通りムダ毛、

ムダな毛なんかに自分の貴重な楽しみ

とられてたまるかー!ってかんじです!!

 

人類こんなに退化してるから、

そろそろムダ毛も退化してほしいな。

 

 

 

 

 

 

不幸こそ、他人と比較するべきではないと思う

 

 

これは夫と出会う前の私の話。

 

 

 

私はよく、人と自分を比べていた。

 

顔の可愛さ、目の大きさ、唇の薄さ、まつげの長さ、話し方、姿勢、体型、お洋服…

相手のたくさんの情報を私にとりこんで、

自分と隣り合わせにおいて、ことこまかに比べる。

 

私は、可愛い顔や細い体が羨ましくて仕方なかったけど、もう1つどうしても比べて、執着してしまうものがあった。

それは家庭環境。

私には理想があった。

理想の家族像がいつも自分の中にあった。

 

そして、私と近い家庭環境なのに、

私と違い幸せそうな子がいると、私はその子と自分を比べた。

両親と住み、兄弟がいて、みんなで仲良し。そんな普通の家にとてつもなく憧れていた。

 

中学生までの私は友達の家族がみんな幸せだと思い込んでいた。

私の家族だけがおかしいんだと。

 

私の親は外面がよかったので、よく友達に

お父さんもお母さんもおもしろいね!楽しそうだね!

というようなことを言われていた。

私は、その度に自分の親はみんなが思ってるような人じゃないと思っていて、なんだかやりきれない気持ちになった。

 

本当のことをわかって欲しくても、他人の家庭の複雑なところをわかってくれる友達は当時あまりいなかった。

 

それから私は、親の奇行(つまらないことで怒るとか、親らしくない言動)を自虐のような感じでネタにすることがよくあった。

 

そして、それに愛想笑いする友達のよくわかっていない様子を見て、やっぱり誰にも理解されないんだなと感じていた。

 

友達の家族はみんな仲良しで幸せなのに私は違う。しかも誰もわかってくれない。

そう強く思っていた。

 

高校生になり、私の周りで母子家庭の子が極端に増えた。

いわゆる家庭環境が複雑な子がほんとにたくさんいた。

母子家庭で母と2人で住んでいる。しかしたまに来る母の彼氏が嫌いだから家に居たくない。

幼い頃に両親が離婚して母親に引き取られたが、今日、本当の父親が死んでしまった。

私は今の父親とは血が繋がって居なくて、母親をDVしていた男と母親の子ども。新しい父と母が産んだ妹は可愛いけど、疎外感を感じる。

こういう子がたくさんいた。

 

本当に驚いた。自分はなんて平和な世界で生きてきたんだ。

 

そして私は思った、私は幸せなんじゃないか?って。

 

実際、その子たちとの何気ない会話に出て来る親の話の中には、正直親の態度としておかしいのでは?と思うことも多々あった。その度にそれは悪いのはあなたじゃないよ、親がおかしいよと思ったけど、さすがに言えなかった。(人のことは言えないけど)

 

母親と共依存ぎみの友達は、

「結婚は絶対しない、これ以上守るものが増えたら困る」と悲しげに笑いながら言っていたし、

おそらくごく普通の家庭で甘やかされて育った子と、仲の良かった母子家庭の子は「どうしても妬んでしまうと言っていた。」

 

毒親の連鎖や、親都合の身勝手な行い(おそらく親はほぼ無意識)は、金銭面など見えるところより、その子たちの心にめちゃくちゃ大きな影響を及ぼしていたと思う。

みんな面白くて楽しくていい子達だけど、心には何かを抱えていた。それは私ごときがどうこうできるような簡単なものではなかった。

 

不謹慎だけど、私は自分の不幸を比べた。

 

親や家庭環境なんて自分で選べない。だからこそ本当にみんな苦しんでいて、悲しそうだった。私はこの人たちを差し置いて不幸だなんて思ってはいけないと思った。

 

私は幸せだ。

両親がいる、帰る家がある、ご飯が出て来る、お小遣いもある、犬もいる。

幸せなんだ。

 

私はそう思った。

 

家庭環境が良さそうな子と比べて自分は不幸だと思い、

自分よりも家庭環境に恵まれなかった子に対しては、自分は幸せだと思った。

 

 

今思うとなんてめちゃくちゃで身勝手だと思う。

 

家庭環境や、そのせいでおこる心の問題はほぼほぼ親が原因だと思う。

それが自分の幸福を妨げるものになる。

けれどだからといって親を嫌ったり、私の親は最低の毒親ですなんて決して言えないし思ってもいない。

親のことは大好きで、愛してる。

わかっていても愛することはやめられない。

 

 

他人と比べることは、無意味だし、大切なことじゃない。

大切なのは、今自分は幸せか?自分の思う幸せな自分になれているか?

そう自分に問いかけることだ。

決して他人と比べる必要はない。

 

そして、そこに親に感謝しろとか、誰が育ててやってんだとか、そんなものは一切関係ない。だって親の都合だから。

親が勝手に産んだのが私たち子どもだから。

だからこそ子どもは幸せになるべきだし、ましてやそれを親が邪魔する権利はない。

 

だから、生まれながらの家庭環境を比べることは全くの無意味なんだと気付いた。

 

自分の幸せを少しでも親に邪魔されていると感じたら、その時点でもうあなたや私は、

親と一緒にいても100%の自分の幸せにはなれない。

 

親子といってもいろんな家族があって、

いろんな親子の形がある。

だからこそ、自分と親の関係を客観視して見ることがきっと大切で、

他人の家族と比べることはまったくお門違いなことなんだなと、思った。

 

そして、私がずっとずっと執着してきた

仲良しな家族は、夫と共に作っていけたら最高じゃん!と思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

自尊心の育て方~セルフコンパッション~

 

 

数日前、私がせっせと更新しているイラストインスタグラムで

ブログを紹介したところ、たくさんの方が見に来てくださってました!!

 

嬉しくてオットとともにばんざーいってめっちゃ喜びました。

ブログに共感したとか、ブログの感想もインスタのほうにコメントくださる方が

いて、それもほんとに嬉しかったです。

インスタ経由でなくても、このブログを読んでくださっている

すべての方に感謝しています。

ほんとにありがとうございます!!

 

 

 

さて、今日は、最近読み始めた本について。

こちらの本です。

 

自尊心の育て方―あなたの生き方を変えるための,認知療法的戦略

自尊心の育て方―あなたの生き方を変えるための,認知療法的戦略

 

 

だいぶ前にオットが買ってきてくれて、その時にブログで紹介

してた本です。

 

オットいわくすごく評価が高いみたいで、

これを読めば、自己肯定感が根本から高まったり、

自尊心が生まれたりするんだって。

 

ページをめくるとこんな言葉が。

 

”自尊心の本質は自己へのコンパッション(同情)である、肯定的な自尊心は、健康なパーソナリティの核である。

本書は、「自尊心」についての臨床的知見の宝庫であり、読者は、当事者、セラピストいずれの立場からも本書を読むことでCBT(認知行動療法)による心理面接技術を身につけると同時に、自らの対人スキルを促進することができる。原書では、(中略)自尊感情だけでなく、近年注目を集める「セルフコンパッション」についても詳しい考察がなされている”

 

だって!!

根本から変えたいって思ったら、やみくもに自己啓発本を読みあさるより、

これをじっくり読んだほうがよさそう。

 

 

 

結構厚くて、実践的なことも組み込まれているから、

時間と心に余裕がある時に、リラックスして読むのがいいかなと思った。

 

自分が読んだ内容を整理することも含めて、私の体験と照らし合わせて

まとめてみようと思います。

 

 

1.病的な批評家

私も含め、自己肯定感が低い人は自分の中に”病的な批評家”を飼ってる。

誰の心にも自分を批判する心は少なからずある。

でも、自尊心の低い私やあなたのような人には強烈で、はっきりした声を

浴びせてくる強烈な批評家がいる。

 

批評家は、うまくいかなかったことを責める。

批評家は、あなたと他人を比べ、あなたの欠点を探し出し、完璧を求める。

批評家はあなたの失敗をことこまかに記憶し、成功したことは決して思い出さない。

批評家の考えるシナリオどおりにあなたが動かない、または少しでもそのシナリオに反することがあった場合には、あなたが誤っていると叫びだす。

批評家はあなたが最高でなくてはならないと命じ、最高でなくては何者でもないという。

批評家は、あなたに”ばか、ぶす、無能”などと悪口をいって、それが真実であるとあなたに信じこませる。

批評家は、あなたの弱点を大げさに言い立てる。

批評家は、あなたの友達が、あなたによって退屈させられる、失望される、嫌悪されるとあなたに信じ込ませる。

 

これらのことを、私たちの持つ”病的な批評家”はいつ何時もせっせと

私たちにささやいてくれちゃってるらしい。

 

単純に、ひどすぎではないか?と思ったよ笑

そこまでいう?ってかんじ。

もしこれ自分じゃなくて他人が言われてたら、そんなこと言ってる

やつのほうが頭おかしいよ、聞く意味ないって思うわ、普通に。

 

でも、自分の中にいるわけだからそんなこといえなくて、

そんな批評家の声に耳を傾けているうちに、

無気力になり自分からはなにもしたくなくなってしまうってことだよね。

 

しかも、この批評家の声はあまりにも聞き取りにくい。

思考の隅々にまで浸透しているせいで、それがもたらす圧倒的な悪影響に

気付きにくい。

 

うん、たしかにそうかもしれない。

 

 

私に起こったある一例を出してみます。

オットと付き合う中で、幼いころから大好きだった絵を本気でやろうと決めた。

でも描いてるうちに自分の絵がへたくそだから、描くのがすごく嫌になった。

私が絵が下手なのは当たり前だし、誰も私の絵にうまさを期待していない

ことは、ちゃんとわかっていた。落ち込む必要なんてないって!

それに、オットはいつも私の描いた絵をうまいうまいと本気でほめてくれたし。

でも私は、逆に絵をあまり描かなくなった。

描いていても、すぐやめてしまった。

オットには何でやめちゃうの?とよく聞かれていたけど、

うまく説明はできなくて、なんとなく嫌になってしまっていた。

 

きっとその時の自分は、いつものように無意識に、批評家の声を聞き、

従ってしまっていたのだ。

 

私の心の批評家はこう言った。

お前の絵はへたくそだ。

へたくそな絵を描いたって、思い通りにかけなくて自分が傷つくだけだ。

ならば最初から描かなければいい。

完璧な絵を描かないだろ、ほら、こんなにうまい人がたくさんいるぞ。

そういって私から絵を描くことをやめさせようとした。

 

これは私の中でもほんの一例だから、もっといろいろな批判家が、

ことあるごとにいろんなことを言って邪魔してくる。

 

それはいつも”なんとなく”だと思う。

なんとなく嫌な気分になる、なんとなくやらないほうがいい気がする、

なんとなく気分が上がらない、、、とか。

それをなんとなくだと思わないで、どうしてだろうって考えることが

大切だと思う。

今私の心の働きが、こうかわった、これはきっと批評家が

こういう風に私に言ったからだって。

 

 

 

そんなふうに私たちの中にある批評家が、私たちのチャンスを

ことごとく奪っていくと思った。

 

何をしても、この批評家の声を知らず知らず聞き入れ、

それだけが正しくて、すべてだと思ってしまう。

 

おっそろしい...。

 

実際私のインスタのイラストアカウントも、はじめのほうは

オットに泣きつきながらひいひい言いながらやっていた笑

 

思うように描けないとか、自分の本当の実力はこんなんじゃないとか、

何でこの人はこんなにフォロワーがいるのに悔しい

って言う具合に。

 

どうしようもないことでオットに泣きつきまくってた。

 

そんなの、ぐだぐだ言ってないで描けばいいだけの話だからね笑

 

だけど、描いてもなにも反応がなかったら自分が傷つくだけだと思って、オットに甘えんぼばっかしてた。

 

最近は、フォロワーさんが増えてきたことや、いいねコメントをもらえることで

かなりの自分への自信と励みになっている。ブログを読んでくれる人も増えてきた。

それが自己を肯定するための材料にもなりつつある。

私にとっては、本当に本当にありがたいことで、少しでもなにか還元したいなって思っているよ。

 

さて、今日は病的な批評家について書きました。

次のブログでは、じゃあその批評家ってだれなの?いつからいるの?

っていうことを書きたいと思います!!

 

 

私のインスタはこちらです。

https://www.instagram.com/koha_taro1123/

 

 

 

 

”細くて可愛い”が全てだと思っていたあの頃②

 

 

前回の続きです。

前のやつはこちらからどうぞ。

 

https://chocochiprin.hatenablog.com/entry/2018/07/03/202959

 

容姿のコンプレックスをもつようになった

2つ目の出来事は高校に入ったときのこと。

 

 

そもそも私の通っていた中学は、かなり治安がよかったです。

中学校の生徒の校風って地域性で結構差が出ると思うんですけど。

たまたま私の学区にある中学は、地域の公立で1番頭が良かったし、学区の中に高級住宅街があったりして。

いい意味でも悪い意味でも親が子どもに熱心な家が多かったと思います。そのため先生も熱心な先生が多かったし、私は中学の時の先生達が今でも大好き。運もよかったのか、頭おかしい先生が私の学年では1人くらいしかいなくて。笑

 

 

ヤンキーとかほっとんどいなかった。

女子も男子もほぼほぼ校則は守るってかんじで。

みんな平等な感じはしましたね。

いじめも少なかった。

家庭環境によって、すさんで騒ぎを起こすような子はほぼいませんでした。

みんなそこそこいい家庭環境だったんでしょうね。

 

そしてその中で私はけっこー好き勝手やってました。

当時の私は言いたいことははっきりいうし、

先生に文句言ったり、好きな男の子には告白してふられるし、友達と口喧嘩もしてました。

今思いかえしても、すごいな、と思います。

私中学の時はバレー部に入ってたんですよね。気の強い子と仲がよかったから、影響を受けてたのかも。

私はスクールカーストでいうと真ん中あたりのグループにいました。

でも、上の方の子に話しかけられたら話すし、おとなしい子達にも話しかけたり。

(友達が多いこと、偏見がないことが当時の私のステータスだったので。)

中学校は私の王国でした。だから自分にコンプレックスをもつ要素なんてなかった。

みんな私が好きだと思っていたし、仲のいい友達の中では私はいつも中心にいた。

 

 

そして受験の時、友達がみんな進学校に行く中、私は商業高校に行きました。

(ちなみに私の学校では商業高校や農業高校に行く人は指で数える程度しかいませんでした。)

もともと頑張って行きたい高校もなかったし、成績も良くなかったので。

なにより受験に落ちることを最も恐れていました。姉2人は受験に成功していたのもあって。

 

それと、中学はみんな頭が言い分勉強に囚われてる子が本当に多くて、それに少しうんざりしてたのもありました。

この時期の私はバカな女の子の方が可愛いと本気で思ってましたしね。

 

 

 

 

そして難なく入った高校は、異世界でした。

 

 

男も女もみんな容姿をめちゃくちゃ気にするわけです。

中学の友達が勉強に囚われてたとしたら、高校の人はみな顔や体型に囚われていました。

 

私は本気で馴染めないと思いました。

 

容姿ばかりを気にする女子。

セックスのことしか頭にない男子。

 

教室に入った瞬間に、

私という人間すべてを顔で判断され、

あなたはこの顔だからここで静かにしなさい、と勝手に振り分けられたような気がしました。

 

私はそれなりに友達もできたし、まあまあ楽しい高校生活を送ってました。

でもその中でいつも

窮屈だな

という気持ちがありました。

 

常にSNSで監視されてるような感覚や、自分の容姿はどうみえてるの?やっぱり可愛くないってみんなに思われてるのかな、と被害妄想に走ったり。

 

顔や体型、彼氏がいるかいないか、彼氏がいたことがあるかないか、そんなもので知らず知らずマウントをとりあうことは、苦痛でした。

 

私は付き合ったことも、告白されたこともないことが、さらにさらに恥ずかしくなりました。

今まではそれでもいつかは…そう思っていたし、男友達もたくさんいたので、特に気にすることもなかった。

 

しかし高校では全く違う。

 

(男子は怖くて話せない、可愛くないからでしゃばったらだめだ。)

 

こんなふうに顔でしか判断しない世界は、私の容姿へのコンプレックスを強めていきました。

 

 

 

 

これら2つの出来事によって、私は容姿に強烈にコンプレックスをもつようになりました。

 

 

「あ、この子私より可愛くないな」

「この子、すごく可愛い、どうしよう」

私は今でも、こんな感情を初対面の人にいだくことがあります。

最低な行為だと思うし、ほんとにやめたい。

でも、体に染み付いたように、昔からの

”顔でマウントをとる”くせのようなものがぬけません。

(女子は無意識にやってる人が多いかも?)

 

 

もちろん治したいと思っているし、そこにはなんの価値もないばかりか自分の価値まで下がるような気がします。

 

 

それと夫と一緒にいて気づいたのは、

私はどうしてもちやほやされたい

ということ笑

末っ子で、小さい頃からみんなにちやほやされてきたからでしょうかねえ。

どこにいても自分が1番でありたい、ちやほやされたいという願望が潜在的にありますね…笑

 

 

そして、可愛い子が難なくそれを手にしてることが私にとっては羨ましくて妬ましいんだと思います。

 

そこそこうまくいってた中学時代では、いとこに心をへし折られ、それでもと思って入った高校ではさらに粉々に砕かれたのだから。

 

なんでもかんでも、私が可愛くないから、私がデブだから、私がもっと可愛かったら…

そんな風に思うようになってしまったんですよね。

確かに可愛いほうがうまくいくこともあります。でも、それはほんとにささいなことで、中身がともなわなければ、ろくな人はやってこないと思います。

 

 

最近は考え方が変わってきて、歳を重ねていく上で、同世代の友達よりも中身のある女でありたいと思っています。

そういう人たちに認めてもらうことのほうがよっぽど価値があるなと。

 

 

10代や20代前半って、ばかな男が本当に多いと思います。

顔や体型で女を品定めするやつらです。

自分が天下のいけめん生田斗真になったかのような態度で、この女はぶすだこいつはえろいだけだ、とか、そんな風に女を見下すやつ。

 

そして、私みたいに自己肯定感が低い子は、惑わされてしまう。

 

そんな奴の言葉には1ミリの価値もないから心に入れる必要がないのに、わかっているのに

ちゃんと傷ついてしまう。

 

でも、もう少し上の世代にいけば、

見た目よりももっと大切なものがあるとわかることのできた人もでてきます。

 

もちろん、本当に自分のことを見てくれて、好きになってくれる人はいつだっている可能性はあるけど。(歳とか関係なく)

 

私は自分を可愛いといってくれる人の言葉だけを心に入れて、他の言葉は心には入れないように気をつけてます。心に入れる必要性は1ミリもないから。

 

難しいけど、それができたらもっとはっぴーになれると思います。

 

私は今はっぴーになれました。